もしもあなたが失恋したら / 宍戸亮の場合



ふられた。完膚無きまでに。


「ごめん、実は彼女いるんだよね」

勇気を振り絞って2年間片思いをし続けた相手に一世一代の告白をしてみれば、その彼は、なんてこたぁない、顔色ひとつも変えることなくあっさりと返事をして立ち去ってしまった。


そして今に至る。


「なーもう泣きやめよ。泣いてたってどうしよーもねーだろーがよー」

屋上で小一時間泣きわめくわたしの背中をさすってくれているのは幼馴染の宍戸だ。

どこかの誰かがあの告白を見ていたようで、ご丁寧なことに宍戸に「お前の幼馴染ふられてたぞ」と報告してくれたらしい。
そんでもって、ふらつく足取りで屋上まで辿り着き、さめざめと静かに涙をこぼして2年間の思い出に浸っていたわたしのもとに、駆けつけてくれた。なんていいやつ。
「気が済むまで泣けよ」と背中をさすってくれた優しさに、なんでこいつみたいなやつをすきにならなかったんだろうと悔しくなって、ふられてもなお顔が浮かんでくるあの男をまだすきな自分が不憫になって、涙がとまらなくなった。

さすがに一時間近く泣き続けるわたしに、そろそろ彼もウンザリしてるのか、「泣くなよ」「泣き止めよ」「泣き止んでください」と声を掛け続けてくる。
さっきまで気が済むまで泣けよとか言ってたくせになんなんだ。ひどい。
ちらりと腕時計に目をとばせば、もう授業は終わって放課後だ。部活もきっと始まっていることだろう。
あーそれで泣き止めとか言うわけね、とわたしは理解した。


「……もう部活行きなよ。わたしもてきとーに帰るから。ぐずっ」
「はあ?こんな状態のお前を放って部活なんか行けるかよ」
「だからいいってば。もたもたしてるとあの俺様部長に怒られちゃうよ。ずびっ」
「あーのーなー」
「早く行きなって言ってんの!ただの幼馴染がしつっこい!」


しまった!
宍戸がウッと顔を歪める。
小一時間も付き合せといてこんな言い方はナイ。わたし最低。

宍戸が眉間に皺を寄せて、ズンと立ち上がった。

「チッ、ただの幼馴染で悪かったな!すきな女が泣いてんのに部活なんてやってられるか!気づけばか!」

「…………」
「あ、やべ…」

まくりたててしゃべった宍戸の顔がみるみる赤くなるのを見て、その熱にわたしの涙も蒸発してしまったらしい。



***

もしもあなたが失恋したら / 幸村精市の場合



実にあっけない幕切れだった。


どのぐらい片想いだったのかも分からないくらい長い間想いを寄せていた男の子に、なけなしの勇気を振り絞って「好き」と告げた。

今年念願叶ってクラスメートになると、偶然にも一緒の委員会に入ったこともあって、自然に口を利く仲になった。
それまではひっそりと影から見つめているだけで満足できたのに、近づけば近づくほど欲が出て、ついには彼の特別になることを夢見てしまった。

残念ながら一度ついた火がすべてを燃やし尽くすまで消えないように、わたしの心もまるで火の如く燃え上がった。

体内に収まりきらなくなった火が、そとへ飛び出していくのにそう時間はかからなかった。……けれど。


「俺、今部活で忙しいし、正直そんな余裕ないっつーか……わりぃ」

彼の言葉が頭の中にループしつづけ、なにも言えなくなっているわたしに、彼は「練習あるから行くわ。じゃあな」と立ち去った。


星の数ほどいる男と女が、互いに思い合ってるということがどれだけ希少であるかということがよく分かった。
もしかしたら、なんて期待をしてしまった自分はなんて愚かだったんだと、誰もいなくなった放課後の教室で独り思う。

外は日が傾いて、空は茜色に輝いていた。なんてノスタルジックな雰囲気。
そんな中わたしは自分の席に突っ伏して目をつむる。こうでもしないと、重力に負けた液体がぼたぼたと落下してしまうからだ。
酸素を吸えば、鼻がズズッと音を立てる。失恋ごときで、情けない。


ガラッ

ふいに教室のドアが開いた。

「あれ、まだいたの」

声の主は、隣の席の幸村くんだ。
忘れ物しちゃったんだよね、と言いながら近づいてくる。

テニス部で活躍していて、クラスでも人気者の幸村くん。
会話を交わしたことはたった2、3回だし、わたしとは住む世界が違う人だ。
わたしは顔を伏せたまま、早く出てってくれないかななんて考えた。

「具合悪いの?」

素通りするもんだと思っていた幸村くんは、なんとわたしの肩に手を置いたではないか!
わたしはびっくりして顔をあげた。
と同時に、幸村くんが驚いたような表情になる。

ああ。泣きはらした目は赤く充血して腫れぼったくなってるし、こすりすぎた鼻の下は赤くなっている。
幸村くんが驚くのも無理はない。幸村くんの麗しいお顔とは天と地ほどの差がある。
こんな顔で幸村くんと目を合わせなくちゃいけないなんてついてない。そんな私の内心とは裏腹に、幸村くんは無遠慮な言葉を投げつけた。

「ひどい顔だね。失恋?」


ひどい顔だね。失恋?
ひどい顔だね。失恋?
ひどい顔だね。失恋?


さっきの告白の返事の百倍ぐらい強烈だった。死ねるぐらい。

わたしの涙はついにこらえきれなくなって、机の上に水溜りを作った。
「おいおい、ジョークだったんだけど」と慌ててタオルを差し出した幸村くんに向かって、切ないわたしの失恋話をしてやった。
ばかだな幸村くん。自業自得だよ。最初からほっといてくれればこんな話を聞かずに済んだものを。


「………で、今ここで幸村くんに汚い女呼ばわりされているところに辿り着くわけですよ」
「そこまでひどいこと言ってないよオレ」

出会いとか長い片思いとか今日の告白に至るまでの長い話を、幸村くんは相槌を打ちながら聞いてくれた。きっと心の中ではうぜえとか思ってるんだろうけど、表情に出さない幸村くんはありがたかった。少し話しただけでだいぶスッキリした気がしなくもない。

「聞いてもらったらなんかすっきりした。ありがとね幸村くん。時間とってごめん、部活行きなよ」

わたしがそう言うと、なぜか幸村は腕を差し出した。

「ね、じゃんけんしようよ」

なんでじゃんけん?
意味が分からないと答えると、幸村くんは笑顔でとんでもないことを言った。

「君が勝ったら、オレが彼氏になってあげるよ」
「はっ!?」

あのテニス部の部長をするぐらいだからすごい人なんだろうなとは思っていたけれど、まさかこんなことを言う人だなんて想像もしていなかった。
その、さわやかすぎる笑顔が怖い。


「……じゃ、念のために聞くけど幸村くんが勝ったら?」

恐る恐る聞いてみる。ほら、怖いもの見たさってやつ。


「オレが勝ったら、君はオレの彼女だよ」


わたしが勝ったら、幸村くんが彼氏。
幸村くんが勝ったら、わたしは彼女。

って、それどっちも……。
これが噂のイエスorはいってやつですか?


「オレ、実はずっと前から君ひとすじなんだよね」


知らなかったでしょ、と細められた目が本気すぎて
わたしの頭の中は真っ白になった。



***

もしもあなたが失恋したら / 跡部景吾の場合



「わりぃ、おれ……優子のことがすきなんだ」


それはある日突然のことだった。

声の主はたしかわたしの彼氏だったはずの男だ。
そんでもって話に出てくる優子というのはおそらくわたしの親友で間違っていないだろう。

「……言いにくいんだけどさ…そーゆーことだから、別れてくれ」

言いにくいなら言うなばか、サヨナラと最後の強がりを投げつけて、わたしはその場を去った。


振られてしまった。

状況が飲み込めないまま校舎内をうろうろと徘徊していたら、仲よし(だとわたしは思っている)の跡部くんに遭遇した。
彼の手にはたくさんのプリントが抱えられている。生徒会の仕事だろうか。

「よお。なにフラフラしてんだ」
「フラフラ?振られたわたしにぴったりの言葉だね」
「は?」
「ふふふ…わたしは今さっき振られてしまったのだよ」

跡部くんは眉間にシワを寄せて、眉をつりあがらせた。
怪訝そうな顔。いや振られて可哀相な女の子を哀れむ顔かもしれない。

ふふふふ、と不気味に笑うわたしに、跡部くんはギョッと表情を凍らせた。

「おまえ、今自分がどんな顔してんのか分かってんのか」

自分の顔?
跡部くんの一言に、自分の頬を触ってみると、生暖かい感触。
自分の指は、しっとりと濡れていた。

「あれれ、どこかで水でもかぶったかな」
「ばかか、目から流れてんぞ」
「汗?」
「汗が目からダラダラ出るかよ。どうみても涙だろ」

ったく、こっちへ来いを腕をひっぱられて連れていかれたのは生徒会室。跡部くんの城だ。
そこにはだれもいなくて、動いている冷房だけが静かに鳴っている。

わたしを椅子へ誘導すると、跡部くんはわたしの前にドカッと座った。長い手足を組むと、跡部くんは「で。詳しく説明しろよ」と言った。

「なんか跡部くんが優しい…」
「俺はいつだって優しいんだよ」
「いやいやいや。いつもの跡部くんだったらあそこで『ふうん。じゃあな』って立ち去ってたよ」
「なんだ。そう言ってほしかったのかよ」

そんなことはない、というと、「じゃあさっさと言えよ」と跡部くんは両手を頭の後ろで組んだ。


「わたしは今日、大切な人を二人も失ったのだよ」

なんか今の言い方かっこよかったなと思いながら、自分に起こった出来事を話す。彼氏に振られた。しかも自分の親友が好きになったという理由で。かくかくしかじか。

黙って話を聞いていた跡部くんが、「もうしゃべっていいか」と口を挟んだ。

「なんで失ったのが二人なんだ。一人は彼氏。これは分かる。なんで親友まで失うんだ」
「だって、気まずいじゃん。元彼と親友が付き合ったら」
「お前の親友はその男に気があんのか」
「いや…?優子にも彼がいる」
「じゃ、お前が親友を失う必要なんてねえだろ」

そうか。よく考えてみればそうだ。
優子は優子だし、自分にも優子にも親友を打ち砕くような非はなにもない。
落ち込んだ気分が、だいぶ上昇してきた。跡部くんのおかげだ。

「跡部くん、頭いいね」
「知ってる」

当たり前だ、という表情を浮かべる跡部くんは、眠いのか欠伸をした。
それはあまり見ることのできない、無防備な姿だ。
珍しいものが見れたと心の中で喜んでいると、ふいに声が掛かる。

「次は親友に目移りするようなつまらねえ男と付き合うなよ」

跡部くんの口からサラリと飛び出た言葉は、ぐさっとわたしの胸に突き刺さった。
な、な、な、なんかかっこいいこと言ったぞ。一般人には到底言えない台詞だ。
あまりにかっこいいことを言うもんだから、わたしはウッカリおどけてしまった。

「じゃあわたしは、つまらねえ男と付き合ってたつまらねえ女ということですかい」

跡部くんはクッと息を漏らした。目を細めて口角が上がる。
「おもしれえ」と呟きながら笑っている。いつも教室で見るどこか皮肉めいた微笑とは違う、珍しいもの。
これもきっと無防備な跡部くんの姿なんだろうと思った。

「ああ。つまらねえ女を返上するには、俺みたいなやつと付き合うしかねえぞ」

悪戯っ子のような表情で跡部くんは言う。

「跡部くんみたいな人と、どうやって出会ったらいいんでしょうか」

真剣に聞いたのに、跡部くんの笑い声は大きくなった。


「ばあか、目の前にいんだろ」



***

冷えたすいか/丸井ブン太


ピンポーン

「……はーい、って何だお前か。何か用かよ」
「ブン太、すいか食べよ!」



明日は全国大会決勝。隣の家に住んでいる、幼馴染のブン太が出る。

せめてなにか力になりたくて、冷蔵庫を覗いたら半分に切ったすいかを見つけた。おととい、田舎のおじいちゃんが送ってくれたやつ。
早速お母さんに許可を貰って、すいかをさらに半分にする。それでも一玉の4分の1、まだ大きい。ブン太のことだから持ってけば全部食べるに決まってる。それでお腹壊して試合に出れないといけないし、念のためもう半分にしておこう。
食べやすいサイズに切ったすいかをお皿に乗っけてラップをかけると、サンダルをつっかけてブン太の家のチャイムを押した。



「うんめー!」
「おいしー!」

ブン太の家の縁側に座って、二人ですいかをかじる。予想したとおり、私が食べている一切れ以外はすべてブン太があっという間に平らげてしまった。ブン太の足元には吐き捨てた黒々としたすいかの種がちらばっている。

「あーうまかった。お前のじいさん天才的だな」
「食べるの早っ!もっと味わって食べなさいよ」
「量が少ねえんだよ。お前、わざとこれだけしか持ってこなかっただろィ?まさかすいかが切って送られてくるわけないだろーし」
「……まったくあんたは食べ物に関してだけ鋭いんだから。明日試合なのにすいか食べ過ぎてお腹壊したら困ると思って心配してあげたの。感謝して欲しいぐらいですけど」

私が自分のすいかから目を離した瞬間、自分の手からすいかが消えた。なぜかそれはブン太の手中にある。まだ半分しか食べてないのに…

「ばーか、俺がそんなヘマすっかよ。また明日、残り持ってこいよ」

3秒で私のすいかもブン太の胃袋に消えてしまった。ごちそうさん、と眩しい笑顔を浮かべている。


「試合負けたらすいかは私が全部食べるから!」
「だいじょぶ、負けねえからよ」



***

風物詩/柳蓮二


風鈴が風に揺られてちりちりと鳴っている。

「んー夏だなァ。蓮二のウチに来てこの風鈴の音を聞くと夏だなぁって実感する」
「そうか」
「蓮二にはそういうのある?風物詩的な」

そうだな、と蓮二が顎に手を当てて辺りを一通り見渡す。
あるところで目を留めて、いやらしく口元を緩ませた。


「8月31日に宿題が終わらないと泣きながら駆け込んでくるお前を見ると、夏が終わると実感するぞ」



「……いじわる」
「褒め言葉だな」



***

雨の日1/忍足



「……やられたなぁ」

朝見た天気予報では、今日も一日いい天気が続きますときれいなアナウンサーが笑っていた。
今日は部活も休みで、授業が終わったらお気に入りのカフェで読みかけの本を読もうと決めていたのに――人の気も知らないで降り続ける雨に、俺は溜め息をつくしかない。

この雨じゃ、駅につくまでにびしょびしょになる。制服クリーニングに出したばっかりなんやぞ、と雨を睨んでも返事はない。こりゃあ、雨が弱くなる隙を見て走るしかないな。




「忍足、傘ないの?」

聞きなれた声に振り返ると、見慣れたクラスメイトがいた。帰るようで、上履きをローファーに履き替えている。手には傘。

「そうやねん、可哀相やろ」
「別に」
「傷つくわー」

傷つけた罰として駅まで傘に入れてってや、というとちょっと嫌な顔をしたような気もするけど(ほんまひどいやつ)、どうぞ、と傘を渡された。「忍足のが背大きいんだから、傘持ってよね」と笑っている。

「おおきに、助かるわ」


傘に跳ね返る雨の音に包まれる。俺と君と雨の音だけの世界。
跡部には内緒だからね、という声なんて聞こえない。


(いまだけは、俺のもん)



***

雨の日2/日吉



今日は雨で、部活はミーティングになった。体力トレーニングは個人に任されていて、集団で取り組むことがない。だから、テニスコートが使えない日は必然的にミーティングになる。

そのミーティングも、“17時から”と告げるメールが数分前に回ってきた。そういえば今、生徒会の仕事が立て込んでいると跡部部長が言っていた。いつもは授業後すぐに開かれるミーティングが遅れているのはこの所為だろう。
忙しいのならばミーテイングの仕切りぐらい誰かに任せればいいのに、と思う。そうは言っても17時になったら何食わぬ顔で部室に顔を出し、ミーティングを始めるはずだ。どうしてそこまで、すべて自分で背負うのか。
何でもうまく物事をこなし欲しい物を手に入れる強さには、尊敬する反面、苦手でもある。



ミーティングまであと1時間。自分の足は、図書館へ向かう長い渡り廊下と歩いている。
屋根には雨がざあざあと降りつけ、無力にも跳ね返されている。コンクリートに打ち付けられた雨が、ズボンの裾に跳ねた。

重厚な図書館の入り口の扉を押すと、受付の机に突っ伏している先輩がいた。


「あいかわらず忙しそうですね」
「うん、今日は雨だからね」


見渡しても、自分と先輩以外だれも居ない。雨の日の放課後の図書館はいつもこうだ。


「日吉、部活は?」とさして興味もないくせに、だるそうに右肩を回しながら言うものだから、「あなたが生徒会の仕事をさぼるから」と返却の本と一緒に返した。先輩は、無表情にそれを受け取る。

「跡部とは、別れたよ」
「は?」
「最後におもいっきしビンタして、二度と顔も見たくないって言ったから、今日機嫌悪いかも」


目が点になった。身体が凍る。そんな俺の姿を見て、先輩は笑った。


「どこまで、本当なんですか」
「別れたところまで。あんな綺麗な顔にビンタはできなかった」

なぐさめてよ、と顔を歪めて笑う先輩の声と、一層強まる雨の音がいやに大きく響いた。


(そんな顔、見たくなかった)



***

雨の日3/跡部



「あ、ちょうどいいとこに。跡部乗せてって」


午後になって突然降りだした大雨。
部活のない水曜日は歩いて帰ると決めていたが、この天気ではそうも行かない。もちろん折り畳み傘は鞄に入っているから歩いて帰ることもできる。ただ、わざわざ濡れて不快な思いをするのは面倒だった。
車でも呼ぶか、とポケットから携帯を取り出したその時、聞きなれた声がした。振り返ると幼馴染。相変わらずにこにこしている。


「何がちょうどいいとこに、だ」
「今、車呼ぼうとしてたでしょ。傘忘れたの、どうせ隣なんだから乗せてって」


その顔は“乗せて”というより、“乗ってくから”と言っている。
普段は「あんな奴の幼馴染なんて面倒ったらありゃしないよー。何が跡部様よ、あんなのアホ部で充分」とか言いふらしてるくせにこんな時だけなんて図々しい。

俺はニヤリと笑う。
庶民の分際で俺をアシに使おうなんて百年早えんだよ。


「残念だったな、今から歩いて帰る」
「は!?」
「折りたたみ傘の端っこになら、入れてやらないこともないぜ?」


見せ付けるように鞄から折り畳み傘を取り出して、開いた。
目の前の幼馴染は、「こんの…いじわる!」と心底悔しそうに睨んでいる。


「じゃあな」


俺は知っている。
1分後にはこの傘の下であいつがぎゃあぎゃあと騒いでいることを。
不本意ながらも、そのぎゃあぎゃあと騒ぐ幼馴染を好きだと思っていることも。

いじめたくていじめたくて仕方がない。
次はどうやって困らせてやろうか。


(てめぇも早く気付け、ばか女)



***

雨の日4/土方



「こんな雨の日まで外で遊んでたのかよ」


今日は朝から雨が降り続いている。満開だった桜もこの雨でとうとう散ってしまうだろう、と土方は残念そうに外を眺めていた。

趣味の俳句でも、と墨を磨ったものの、一向に筆が進まず、墨はあらかた乾いてしまった。それでも何だか片付ける気分になれなくて、そのまま当てもなく外に目を向けていたら、飛び込んできた見慣れた女。この雨の中、傘も持たず、着物と髪を湿らせている。頬を伝わり、滴り落ちる水滴。伏せていた瞼を少し開け、こっちを見て口を開いた。


「ちがうの、散歩してた」
「傘もささずにか」
「ううん、傘、あげちゃったの」


子犬が寂しそうに鳴いてたから、と少し悲しそうに言う。こいつの悪い癖だ。一時的に雨から逃れられても、救われるわけではない。助けたようで突き放す。優しいようで残酷。


「風邪ひくぞ、さっさと入れ」

掛けられることばはこれしかなかった。


(こんな日もあるさ)



***

雨の日5/KID



「こんな雨の日に空なんか飛んだら風邪ひいちゃうわよ」


カーテンをさっと開け、ベランダに降り立った白い人に向かって言う。
水を含んだスーツにマント、顔に張り付く濡れた黒髪。モノクルを外して水滴を拭うその表情は、相変わらずのポーカーフェイス。
私なんかに素顔を見られたぐらいなんてことはない、余裕綽々といったところか。


「こんばんはお嬢さん。私なんぞを気遣ってくださるなんてお優しい方ですね」
「好奇心旺盛なだけよ。TVで観て、一回会ってみたかったの」


それは光栄です、と目の前の怪盗は笑みを称えながら会釈する。
噂に違わぬ紳士ぶり。


「今日もお仕事うまくいった?」
「ええ」
「じゃあ明日もあなたのニュースで大騒ぎね」
「お恥ずかしながら」

そう言いながら、すっと無駄のない動作でキッドはモノクルを装着した。
私はこの時間に終わりが近いことを知る。


「ねえ、有名人ってどう?楽しい?」

もう少しだけ自分の下に留めておきたくて投げた言葉だったのに。

「ええ、貴女のような素敵な方にお声を掛けていただけるんですから」

というきっと使いまわしの台詞と、私の手の中に紫陽花の花束を残して消えてしまった。



「似合わない、キッドに紫陽花なんて」

毎年梅雨の時期が来るたびに、私はあの日を思い出す。


(今年もこの季節が来た)