ぴんぽーん
今日は土曜日。さんも仕事がお休みでごろごろしてるっていうから、こうして朝からさんのマンションに上がりこんでるわけ。(ちょっと迷惑そうだけど)
彼女にコーヒー淹れてもらったり、一緒にテレビ観たり、新聞読んでるところにちょっかい出してみたり、くすぐったいぐらい幸せ。そんでもって「昼食はきみ担当ね。」なーんて言われると、頑張りたくなるわけよ。早速米を磨いで炊飯器にかける。冷蔵庫を開けて使えそうな食材を取り出してみる。忙しくて外食が多い
さんだから、冷蔵庫の中にはろくなものが入ってなかったけどまあチャーハンぐらいなら作れそうだ。
そんなことを考えていたとき、突然玄関のチャイムが鳴った。おいおい、空気読めって。折角二人で過ごす貴重な時間だっていうのに。ポーカーフェイスを気取っているものの、ささやかな楽しみに水を差され、心の中で不満でいっぱいだ。
それが、まさかこのチャイムが、さんの――いや、自分の、と言ったほうが正しいのかもしれない――過去を知るきっかけになるなんて。
「中森のおっさん!?」
「おお、快斗くんじゃないか。君はくんと知り合いだったのか」
「えっ、まぁ…」
誰かしら、と玄関に向かったさんが、訪問客を連れて戻ってきた。それだけでも焦るところ、訪問客がよくよく目にする人物で、目玉が飛び出そうになる。いや、半分ぐらい飛び出したかも。ここで青子の親父が出てくるなんて死んでも想像できなかった。
なんで中森のおっさんが彼女の家を訪ねて来るんだ?とか、大人の女性に対して下の名前で呼ぶって昔からの知り合い?とかずるずる疑問が湧いてくる。というか、改めて考えてみると俺がさんについて知っているのは、実物の存在と、してる仕事と(といっても新聞社のカメラマンという事実のみで、実際何を追ってるのかとか専門分野とかそういうことは結局知らない)、多少の好きなものぐらいだ。フッと襲ってくる眩暈。
中森のおっさんをソファに案内したさんに「俺、席はずしましょうか」と声を掛けると、「すぐ終わるわ。日本茶がそこの缶に入ってるから、戸棚から急須を出して淹れてくれるかしら」と頼まれた。彼女がなんとなく困ったような表情で微笑むものだから、なんとなく不安になる。そんな顔をするさんを、見たことがない。
とりあえず、俺は二人の会話に聞き耳を立てながら、さんに言われたとおりお茶の準備をする。
「一年振りになりますが、元気でしたか」
「はい、まあ仕事は忙しいですけど。今年もまた当日に来てくださるのかと思っていたので、少し驚きました。」
「本当は明後日にこうして訪ねようと思っていたんですが、キッドの予告状が届いて明後日は一日中張り込みをすることになったもので…。新聞社に問い合わせたら、さんが今日は休暇をもらっているというものだから、墓参りのついでに寄ってみたんです」
「ありがとうございます、父もきっと喜びます」
中森のおっさんの声を聞きながら、そーいえば予告状出したなぁ、などと人事みたいに考えた。
今の会話で、さんの父親が亡くなっていて、明後日が命日なのだろうという推測ができた。で、中森のおっさんはさんの父親と知り合いで、毎年命日には
さんのもとを訪れているらしい。“毎年”ってことは、二人がよっぽど仲が良かったか、それとも来なければいけないような何か後ろめたいことでもあるのか。
ついいつもの癖で深読みしていると、すっかりお茶のことが頭から抜け落ちていて、気付けばさんが自分で持っていってしまった。
お茶を啜りながら、二人はしばし沈黙していた。 彼女の表情がなんだか複雑で、読めない。
「もう八年も経つのだなぁ、警部が亡くなって」
「ええ。あの時私はまだ高校生でした。あっという間です、本当に」
「俺もまだ警部補だった。変わらないのは、キッドだけか」
再び出てきたキッドという単語にドキリとする。
「斃れた警部の代わりに、キッドは俺が責任持って捕まえて霊前に供えてやると誓って八年。未だに約束が果たせず、申し訳ない」
「父は、自分の信念を貫いて死にました。中森さんが責任を感じる必要はありませんよ」
少なからず、俺は動揺した。さんの父親の死にキッドが関わっているという事実に。八年前はまだ親父がキッドだった頃だ。キッドを追っていて、さんの父親は死んだ?
分からないことがもどかしくて、奥歯を強くかみ締める。ポーカーフェイス、と思うものの、自然と顔がこわばっている。そんな顔を、ちらりとさんが盗み見た気がした。
ほどなくして中森のおっさんは帰った。彼女は玄関まで見送り、丁寧に頭を下げていた。部屋に戻ってくると、さんはキッチンに立ちすくむ俺の頭を撫でる。まるで子どもをあやすみたいだ。
「お昼ご飯食べてながら、ゆっくり話すよ。全部話すから、そんな顔しないで」
そう言ったさんの顔はこわいほど穏やかで優しかった。