「あのさ、何怒ってんの」

快斗は、ただならぬ冷気を身に纏い、冷たい瞳で睨んでくるに、努めて明るくされど恐る恐る声を掛けた。






12月30日、夜。年越しを前に、世間は慌ただしい雰囲気に包まれている。
夜になって気温がぐっと下がったにも関わらず、のマンションから眺める街の景色は、いつも以上に賑やかだ。
その寒くて賑やかな街の中を、数十分前に快斗は歩いてきた。暖かい部屋と恋人の姿を一途に思い浮かべながら。
……まさか、外以上に中が寒いことになっているとは思ってもみなかっただろう。


実際のところ、室温はエアコンで調節されているから暖かい。出されたコーヒーも熱かった。ソファの座り心地もいつもと変わらない。
ただ、隣に座っている家主から発せられる氷のように酷く冷たい視線が、快斗の背筋を凍らせている。


わがままを言ったわけでもない。仕事を邪魔したわけでもない。前髪を切ったことにだって気づいて褒めた。手土産だって持ってきた。(しかも時間とお金を奮発して、テレビでも取り上げられてる有名店の新作ケーキだ。前に「食べてみたい」って言ってたのを思い出して、2時間並んだ)
それなのに、なぜ彼女はこんなにも機嫌が悪いのだろう。



そして冒頭に戻る。



「あのさ、何怒ってんの」

快斗の言葉に、は眉間に皺を寄せて目を細めた。

「その悪びれもしない態度、本当に何も分かっていないのね」

その言葉に、の怒りの原因が自分にあるということを確信する。それでも、何がいけなかったのか皆目検討がつかない。

「頭脳明晰な怪盗さんが聞いて呆れるわ」
「嫌味かよ。だから言わねぇと分かんないって。さんのそういうとこ可愛くないよな」

分からないから聞いているのに、挑発するばかりではっきり言わないところが快斗は気に食わない。
ノーヒントで察しろ、というのはあまりに理不尽だ。


は、どこからか新聞を取り出すと、快斗の目の前に差し出した。昨日の朝刊である。
1面の内容には、見覚えがある。いや、見覚えがある、という言い方は正しくない。むしろ関係者というほうがしっくりくる。
何せ、その記事の原因を作ったのは快斗自身なのである。


『十二の動物が巡る時、“人魚の瞳”を戴きに参上する。  怪盗キッド』


確かに快斗が一昨日、鈴木財閥に送りつけた物だ。
そもそも、マスコミを使って大々的に喧嘩を売ってきたのはあちら側で、まあそこまで言うなら受けてやろうと思ったのだった。


「新年早々パフォーマンスとはいいご身分ね。さぞ凄いものを見せてくださるんでしょうね」
「何かすっげートゲのある言い方。売られた喧嘩は買う主義だって知ってるだろ」
「よりによってどうして元旦に喧嘩を買うかな」
「キッドと新年が迎えられて、喜ぶ国民もいるかもよ」
「……最悪」

は持っていた新聞を快斗に投げつけた。とはいえ、隣に座っているのでたいした威力はない。頬を膨らませて黙り込む姿は、まるで女子高生みたいだ、と快斗は思った。普段は年上の余裕なのか感情的になることが少ない彼女にとって、今日の態度は珍しい。不覚にも可愛いと思ってしまった。気を抜くと口元が緩みそうだ。
それでも快斗は、新聞にこめられたの苛立ちを測りかねている。迂闊なことを言ってこれ以上こじれさせるのは賢くなさそうだと判断し、の次の言葉を待つことにした。



ぼすっ

が勢いよく身体を倒して、快斗の膝に倒れこんだ。快斗の膝に重みを感じると、彼女の香水の匂いに包まれる。快斗が膝枕をする格好になった。快斗からは、の後頭部しか見えず、表情は伺えない。快斗はの茶髪の髪をそっと手で撫でてみる。

不意に、はあ、との口から溜息が漏れた。


「……あーあ、もうやんなっちゃう。キッドのせいで、冬休み返上なんだから」
「へ?」
「明日も出勤になった。鈴木財閥のお屋敷に張り付いて、キッド対策やら警察の動向やらを1日取材よ。なんたってこんな1年の最後の日まで全力で働かなくちゃいけないのかしら」


快斗は、しまった、と舌打ちした。
自分が動くということは、世間も動くということ。
マスコミ、警察関係者は、12月31日にも関わらず、文句も言えず勤務せざるを得ないじゃないか。
どれだけの人が迷惑を被っているのかなど、考えもしなかった。


「……ごめんなさい」


自分の思慮に欠けた行動に、腹が立つ。やっぱりやめた、と予告状を訂正してもまた迷惑をかけるだけだろう。





「分かればよろしい。次から、スケジュールは事前に相談してくれると助かるわ」


快斗側からの表情は見えないが、その声は先ほどより幾分か明るく、そして優しかった。







2013.01.06