「天気がいいなー」
心地よい五月の風が吹くある日、洗濯物を干しながらは空を見上げた。
千駄ヶ谷の植木屋、平五郎宅にはいた。
あの日土方に言われたとおりは土方たちと別れ、療養する総司の看病につくことに決めた。
それが本人の意思なのかを知る人はいない。
五月に入り、ますます衰弱が目立ってきた総司は離座敷に寝ている。
最近では少し身体を起こすことも苦痛になり、寝たきりの状態が続いていた。
さらにが総司の身体を想って作った食事も喉を通らず、顔や手はまるで骨と皮。
見舞いに来るものもおらず、来客はときどき薬を届けにくる医者だけなった。
そんな静かな場所で、と総司はそれぞれ何かを思いながら過ごしている。
雲ひとつなくカラリと晴れた空に、あの人のいる場所にもこの空があるのだろうかとふと思った。
そう思う反面、銃の雨か血の雨が降っているのかもしれないとも思った。
毎日、世間の噂すら入ってこないような場所にいる自分には分からなかった。
それが嬉しいことなのか悲しいことなのかさえも。
日を追って弱っていく総司を見ていると、「あとはまかせろ」と言ったあの人の言葉が信じられなくなる。
総司の衰弱が新撰組の衰退でもあるかのように思えた。
それはきっと、“馬鹿かお前、んなこと考えてんじゃねぇよ”といってくれるあの人がいないから。
無駄だと思いながらも、早く帰ってきてほしいとねがう私。
この晴れすぎた空が、自分の無力さを笑っているようでなんだか余計に虚しかった。
「さん」
どこからか風に乗ってかすかに聞こえた自分を呼ぶ声に、空を見つめる視線を開放し、は総司の横になる離れへと足を進める。
そっと障子を開け、中にいる人に声をかけた。できるだけ、明るい声で。
「総司くん呼んだ?」
総司の枕元に正座し、顔にかかった髪を手ではらってやる。
どこをみているのか分からない焦点の合っていない総司の目がをとらえた。そしてゆっくりと口が開く。
「どこか苦しい?」
「いえ、今日はいつもより具合がいいんです。だから障子を少し開けてくれませんか」
「ああ、気付かなくってごめんね」
すごくいい天気なんだよ、と言いながら立ち上がると障子をカタリと開けた。
そこにはまだ五月なのにきらきらと光る太陽。ここのところ降り続いていた雨がまるで嘘のようだ。
眩しいけど気持ち良い、そんな太陽にはしばし見とれた。
「布団ごと縁側に出てくるのはどうかな」
「え」
「折角だから、一緒に日向ぼっこでもしましょうよ」
「はぁ」
曖昧に濁った返事をする総司を気に留めることもなく、は布団を縁側の方へとひきずった。
男一人が寝ている布団なのに、簡単に動いてしまう。それが悲しい。
だが、それを表情に出すこともなくは優しく微笑んでいた。
泣くな、嘆くな、悔やむな
いつだったか土方に言われた言葉がの頭の中で結んでは消える。
「いい風が吹くなぁ」
縁側までひきずられた布団の上で総司は言った。
そう言った総司の顔が久しぶりに緩んでいて、隣に座って外へ足を出してぷらぷらと揺らしているはどこかほっとした。
その緩んだ懐かしい笑顔があの頃と変わっていなかったからだろう。
今の痩せて肉の落ちた顔でも、子供の様な優しい目はちっとも変わっていない。
この人ならまだ大丈夫、
立ち込めていた霧が少しだけ晴れたような気がした。
「……ひとつ、あなたに謝らなくてはいけないと思っていました」
言いにくいのか、総司もなかなかその続きを口にしない。
総司の言葉には首をかしげた。そして一瞬頭をよぎったものをかき消す。
の頭に浮かんだ“あの人”
五月の風が、二人の髪を揺らし弄ぶ。 そこにあるのは沈黙。
ただ風が吹いている。
「私がこんなだから、あなたは土方さんについていけなかった」
「……そんなこと…」
「違いますか」
「………」
何も言えずに黙りこくったを見て、総司はプッと吹きだした。
「ほんとにあなたは正直な人だ」
土方さんが惚れるのも分かるなあ、と付け加えてさらに笑った。
寝込んでいる総司からは想像もできないほど、どこにそんな元気が残っているのかと疑いたくなるぐらい笑う。
散々笑ったあとは、笑いすぎて少し疲れたようだった。
「…あなたを土方さんと引き離してしまって御免なさい」
「私が決めたことだから…総司くんは悪くない」
「いいんですよ、私がこんな姿になってまで生きているのがいけないんです」
戦えなくなった武士はもういらないのに、私には腹を切る勇気も気力もない。
情けないとは思いませんか。
今日の天気とは正反対の、すごく寂しい声。
は何も言えず、俯き唇を噛んだ。何もいえない自分に腹が立った。
そんなの背中を見て、これはいけないと総司は焦る。声の調子を変えて言う。
「江戸につく前日、土方さん、私の部屋へ来てこんなことを言ったんですよ」
「突然部屋にどたどたと入ってきたと思ったら、私に向かって怒鳴ったんです。“をお前と行かせるが、お前のためじゃねぇからな!”って」
そのときの土方さんの顔ったら、総司はまた笑った。は曖昧な表情で総司を見ている。
総司は目を瞑り、思い出すように呟いた。
「“あいつにはこれ以上危険な目に合わせるわけにはいかねぇんだ” あの人は確かにそう言いました」
何も言葉を返さないを不思議に思い総司が目を開けると、は泣いていた。
大粒の涙が白い頬を伝い、着物に透明の染みを作っていく。ぽたぽたと確実に増えていく染み。
そのの様子を見て、総司は遠方で戦う土方を心の底から羨ましく思った。
「私もね、あなたのことがすきだったんですよ」
総司は涙を流すの背中に向かって、そう口だけを動かした。
2004.07.11(2010.06.19改訂)