理解するためには向き合わなければならない。と向き合う時間をくれた滝のお節介か優しさか分からない配慮に今は感謝してる。あの時のあの時間がなかったら、きっと今の自分は存在しないなんて大げさだろうか。




終わりのない旅の始まり (忍足)




滝に休むよう言われたがこっちに向かって歩いてきた。部活のときには汗もかかずに涼しい顔をしているも、額に汗を浮かべている。いつものけだるい雰囲気が姿を消し、清々しい顔をしていた。


「なんや、ええ顔しとるやないか」

照れたような表情を浮かべたに、さっき買ったスポーツドリンクを渡した。

「それ飲んだら、ちょっと散歩せえへん?」



は少し驚いたようだったけど、黙ってついてきてくれた。人の声と波の音が聞こえる海辺を静かに歩く。


は新学期が始まってからも、うちの部に顔出してくれるん?」
「ん、どうかしら。新学期からは一人暮らしも始めるから…」
「今は榊先生のとこにおるんやっけ」
「そう」
のおかげでレギュラーたちにまとまりが出てきたんや。これからもいてもらえるとええなと思っとる」
「…恥ずかしいな」


避けられていると思っていたけど、きちんと言葉を返してくれるのが素直に嬉しかった。決して口数は多くなくてもそんなことはどうだってよかった。言葉が返ってくることが嬉しくて柄にもなくいっぱいしゃべった。



海の家で、ラムネを買った。海へ遊びに来る人ももう少なく、海の家はすごくひっそりとしていて、なんとなく寂しかった。店にいたのは店長らしい老人が一人で、暇そうに小さなテレビでワイドショーを観ていた。「なんだ、綺麗なおねえちゃんをつれてるじゃないか」と笑って、「1本おまけだ」と氷水でよく冷えたラムネを2本渡してくれた。受け取ると、ビンの冷たさがじわじわと伝わってくる。1本をに渡してやると、「おおきに」と店を出た。


「開け方わかるか?」
「ん」
「中身飛び出してくるから服汚さんよう気をつけや」

ビー玉を押し入れると、勢いよく炭酸の泡が溢れ出た。海の家を利用する人も少ないので売れず、長い時間氷水に浸かったままだったのだろう、ラムネはビンだけでなく中身もよく冷えていた。


「つめたい」

一口飲んでは、頭に響いたのか、眉間に皺を寄せて言った。俺は持ってきたデジカメでそんなの姿を写す。

「……ちょっと」
「ええやん。思い出思い出」


日陰のあるところに腰を下ろして休憩した。冷えたラムネは喉を潤し、身体を冷やしていく。弾ける炭酸の刺激が気持ちよかった。も隣でラムネをちびちびと舐めている。最初にあったなんとなく気まずい空気はいつの間にかどこかへ流れていったようだった。



さ、俺のこと付き合いにくいと思うか?」
「?」


は話の意図が分からない、という顔だ。唐突すぎたか、とも思ったけれど、いい機会だと思って話を続けた。


「初めてを見たとき、なんでそんな冷たい目しとるんやろって可哀相になった反面、自分に似た空気を感じてなんか親近感が湧いた。そんな目をするまでに何があったのか興味あったし、何を抱えて生きてるのかも気になった。
だけど、察したのかは俺に目も合わせてくれんし……」


その時、は遠くを見ていた。まるで俺の声なんかちっとも届いていないようで、俺もしゃべる気力をなくしてしまった。

失敗したと思った。すっかりラムネの幻は消えてしまった。波の打って返すざざっという音だけが聞こえる。
俺たちはどれくらいそうしてただろう?




「……戻ろか」

みんなが心配するし、と言って立ち上がる。俺を見て、も立った。





「ねぇ」

来た道を戻っているとき、無言を打ち切ったのはだった。


「私、忍足君が作った笑顔で笑うのがすきじゃない。初めて見た時から、忍足くんの笑顔は目だけ冷たく人を見下してて、怖い。心の底まで見透かされるようで、とても近づけないと思った。だから、わざと避けてたわけじゃないの」

俯き加減でいうの姿を見ながら、俺は頭の中を整理した。まさか答えが返ってくるとは思いもせず、少し驚いた。


「それじゃあ避けられてたんやなくて、怖がられてたってことなん…?」
「まあ」

俺は「はー」という溜め息とともに、身体がずしんと重くなったのを感じた。緊張が全身から抜けていく。なんか、疲れたな。


「俺、さっき絶対嫌われたと思ったのに。俺が気持ち悪い顔で笑うのが原因やったなんてホンマ力抜けたわ…」

隣にいるは、悪気もなさそうにしれっとした顔で歩いている。むしろ、言いたかったことが言えてすっきりしているようにも見えた。


俺は「この話をするのは、2人目なんやけど」と言い、少しだけ昔話をすることにした。

「俺が笑顔を作るのは、もう癖なんや。うち、親父が大学病院の教授で、ひどく世間体とか気にするねん。やけど昔俺、自閉症気味でな。塞ぎこんでることが多くて、親父が知り合いを連れてきたりしても暗い顔であいさつもせん。そうすると、あとできつく叱られるんや。「笑え」ってな。怒られるのが子どもの俺にとって物凄く怖くて、「笑いさえすれば怒られない」ってひたすら自分に言い聞かせてたのをよく憶えとる。作り物の笑顔を張り付けるようになったのは、それからだな。
まあ、よおそれで自閉症悪化しなかったもんやと思うけどなあ」


「中学に上がるとき、大阪の実家を離れて氷帝の寮に入ったんや。実家を出たのは、テニスもやりたかったけど、やっぱり親の束縛から離れたかったっていうのが大きいな。そこで今のメンツに出会ったんやけど、最初なかなか馴染めんかった。
ある時、跡部に「お前はなんでそんな顔で笑う」って言われたんや。その時初めて、上っ面な笑顔で人に接してることに気がついた。
それ以来、努力はしてるつもりなんやけど、女の子にはついええ顔しよと思ってしまってなあ」

なんかもう何を言いたかったのか分からなくなって、無理やり話しを終わらせた。 
「とにかく、怖がらせてすまんかった」


謝る俺に驚いたのか、は「や、こちらこそなんか色々しゃべらせちゃって…」っと焦っている。かわええなあ。

の家のことは少し監督から聞いとるし、これでお互いさまや。気にすることないで」
「…ありがと」



一度向き合えれば、あとは相手を知ればいい。たった少しの勇気で、この先は大きく変わっていくんだ、という実感が、自分の胸をやさしく撫でた。

俺は嬉しくなって笑い、の手をとって走り出す。引っぱられるようにも走り出した。砂が跳ねる。


「な、のこと名前で呼んでええ?俺のことも侑士でええからさ」