今年も、品のいい白い封筒と白い箱が届いた。ただ宛名が自分になっていて、もう父はいないのだと実感する。
父がいなくても、世界はこうして動いている。
08;星よ、魔法の手がつかむのは ()
「……?」
目を開けると、そこはこの間まで自分が過ごしていた部屋のベッドの上だった。どうして太郎さんの家にいるんだろうと思考を巡らすものの、頭が痛むだけだった。
とりあえず家主を探そう、とだるい身体を起こし、部屋を出た。
「、目が覚めたか」
太郎さんはキッチンにいた。テーブルの上には、サラダと焼き魚が並べられていて、部屋はおいしそうな匂いで満ちている。
「自分がどうしてここにいるのか分からないんだけど…」
ああ、と太郎さんは味噌汁をよそいながら、「体育の授業中に倒れたんだ。目を覚まさなかったから、連れてきた」と言った。
そういえば、6時間目の体育。途中でふっと身体が軽くなったのを思い出した。
「食事にするから座りなさい」
太郎さん、なんだか穏やかじゃない。もしかして(もしかしなくても)怒ってる?
ご飯と味噌汁が揃い、遅い夕食が始まった。こうして2人で食べるのも久しぶりだ。太郎さんの料理は、さっぱいしていて美味しい。なんでもできる男の人ってすごいなぁと思いながら、焼き魚を口に運んだ。
「迷惑かけて、ごめんなさい」
私は無言の圧迫に堪えられなくなって、声を掛けた。太郎さんの箸が止まった。
「あまりびっくりさせるんじゃない。今後も続くようであれば、一人暮らしをやめてもらうからな」
太郎さんの表情から、どれだけ心配をかけたのか伝わってきた。心配をかけて申しわけないという気持ちと、そこまで自分のことを心配してくれる人がいるという嬉しさが湧き上がる。
「…心配してくれてありがとう。以後、気をつける」
「それよりも、何が原因なんだ?」
「へ?」
「養護の秋月先生が、睡眠不足だろうと言っていた。学校生活に何か問題でもあるのか」
「そんなことない、クラスの人たち気を遣って話しかけてくれるし、授業も分かるよ」
文理の志望を出していなかった私はまだクラス分けされていなかったため、復学と言っても学級名簿に名前のない転校生のようなものだった。
結局クラスは文系という希望が通り、2年E組に決まった。クラスメイトたちはまるで転校生を扱うように、「分からないことがあったら聞いてね」と気遣ってくれる。そしてクラスには去年のクラスメイトも数人いて懐かしかった。
ちなみに、跡部君も同じクラスで(文系なんだ…)、何かと心強い。
「じゃあどうしたんだ」
という太郎さんの言葉に、私は嘘をつけない。
「最近、夢をみるの」
「夢?」
「自分が楽しそうにピアノを弾いてる夢…」
私を連日悩ませているのはこれだ。最近、自分がピアノを弾いている夢ばかり見る。登場する自分の姿は、子どもの時もあれば、中学生の時もある。共通するのは、あまりにも楽しそうに弾いているということだ。
自分がなぜピアノを弾いていたのか気づいて以来、眠れば必ず夢を見た。
「弾きたいのかなぁ、私」
ふっと口をついた言葉に驚く。ピアノを弾くことにあれだけ抵抗を感じていたのに――
太郎さんを見ると、目を細めて笑っていた。「そろそろ身体が我慢できなくなったんじゃないか」と言いながら、味噌汁を啜っている。
「弾いていいのかな、私。お父さん、怒らないかな」
「怒るものか。蓮さん、きっと涙を流して喜ぶぞ」
「うまく弾けなかったらどうしよう」
「半年以上さぼってたからな。うまく弾けると思うほうが間違いだろう」
自分の手を、握ったり開いたりしたみる。この手から、また星を生み出す。今ならできそうな気がした。
「今夜はリサイタルだな。私はエルガーの愛の挨拶が聴きたい」