壊れたものがまた形を取り戻している。そんな些細な変化にでも、気づけたことに安堵した。




11;幼馴染のプライド (手塚)




氷帝学園、と克明に刻まれた荘厳な門をくぐるのは何回目だろうか。氷帝はコート数も多く、設備が整っていることから、よく大会会場として使用される。中等部だった頃を踏まえるともう数十回はこの門をくぐっていることになるが、いつまでたっても慣れないな、と思った。たった四文字が、醸し出す威厳。よそものを排除するような空気さえ感じるからだ。

この門を毎日くぐっている幼馴染は元気だろうか、と先月会ったきりの幼馴染の顔を思い浮かべた。
都内で一番音楽に打ち込める高校が氷帝であることは明白だったし、の父親の母校でもある。ずっと昔から彼女が氷帝へ行くことを疑う者はいなかったし、もちろん自分もそう思っていた。そしてその通り、フランスから帰国したは氷帝の高等部に進学した。「すごいの、音楽史や理論の授業もあるし、放課後には実技指導もしてもらえる」と、楽しそうに話していた。父親の事故以来8ヶ月も学校を休んでいたが、もう馴染めただろうか。音楽から遠のいている今、この学校は苦しくないだろうか。


について考えていたことが伝わったのか、少し前を歩いていたが振り返った。海堂との会話を切って、自分の隣に並んだ。「国光くん、今、のこと考えてたでしょ」

はひとつ下で、今はうちの隣にあるの祖父母の家に下宿しながら青学の高等部に通っている。そして同じテニス部だ。
と同じで、黒い髪に茶色い瞳。癖のないまっすぐな髪は少し長めのショートカットで、右サイドの髪だけ耳にかけている。耳には、濃い青の小さい石のピアス。隠れている左耳にも同じものがされていて、部活と寝る時以外は常にしていると聞いた。茶色い瞳は、どちらかというと切れ長のとは違って、丸い。くっきりとした二重まぶたに、長いまつげ。「今も時々、姉妹に間違えられるよ」と本人がいうだけあって、中性的な顔立ちをしている。身長もそれほど大きくなく、全体的に線が細い。

はバイオリンを弾く。ピアノではに勝てないと思ったから、らしい。もともと音楽一家で、指導者はたくさんいたため反対されることもなく、のびのびと練習できてよかった、と言っていた。
小学生の頃、自分と一緒にテニスを始めて以来、はずっとテニスと音楽を両立させている。まあ、音楽家として注目されていたのはだったのもあり、はプレッシャーも少なく好きなことに取り組めたようだ。テニスはうまいが、怪我を懸念してあまり試合には出たがらない。


「氷帝って、でかいんだね」
「ああ」
、元気かなとか考えてた?」
「……勝手に心を読むな」

読んでないよ、勘だし!とは笑う。昔から、人のことを良く見ていて鋭いことを言う。そして、姉でもあるのことを、平気で呼び捨てにする。(ま、海外育ちだしな)

だいぶ歩いたところで、やっとコートにたどり着いた。集合時間30分前ということもあって、すでにコートは人で賑わっている。準備も大詰め、というところだろう。

「昨日、から電話が掛かってきた。明日試合観に行くから、って言ってたから会えるかも」
が?よく知っていたな、試合のこと」
「さあ、詳しくは聞いてないけど。あ、そういえばさ――」

が何か言いかけた時、「、竜崎先生が呼んでる。手塚も。」と大石が呼びにきたため、話はそこで途切れた。何を言いかけたのか少し気になって聞いてみても、「に会えば分かると思うからいいよ」と返されただけだった。



***



竜崎先生から預かったオーダー表を本部へ提出したあと、自販機の前に立っているを見つけた。ボタンを押し、身体を起こした彼女の手には缶コーヒーが握られている。向こうもこちらに気づいたようで、「あ、」と口を動かした。

「国光、久しぶり」

太陽が眩しいのか、は光を遮るように右手を額にかざし、目を細めた。近づくと、手の影で暗くぼやけた表情が次第に輪郭を成していく。


「ここでに会うとは思いもしなかった」
「夏休みにね、少しテニス部の手伝いをしてて。決勝の相手が青学ってレギュラーの子から聞いたから観に来たの。意外?」
「ああ」

どうしてテニス部の手伝いなんか、と考えていると、「テニス部の榊監督って、お父さんの後輩でね。新学期が始まるまで人と関わるリハビリをしなさい、ってテニス部に置いてくれてたの」と付け足した。

先月会った時よりも、幾分も顔色が良くなっている。固く強張っていた表情も、ほぐれて柔らかく動いている。自然に口角があがって笑みを浮かべるし、物言いもしっかりしている。この、纏う雰囲気の差は何だろう。確かに、蓮さんの事故以前は、こんな感じだった。先月には欠けていた何かが、戻ってきた?

自分の頭の中に一つの結論が浮かび、そうかと納得する。先ほどが言っていた「会えば分かる」というのはこういう意味だったのか。(どうやら、冒頭の心配は俺の取り越し苦労だったらしい)



「国光?」

の顔を見ながら黙った俺を怪訝に思ったのか、困惑の混じった声だ。眉間に軽く皺を寄せてこちらを見ているに向かって、自分の行き着いた結論を口にした。(合っているだろうな)


「お前、ピアノ弾いてるだろう」


は一瞬目を大きく見開くと、顔を横に背けた。少し顔が赤くなっている。から聞いたの?、という言葉に首を横に振る。の、じゃあなんで、という表情に、自分の口元が緩むのが分かった。
「どれだけ一緒にいたと思う。顔見れば分かる」

さすがだなぁ、と苦笑するの頭を軽く小突き、「何がきっかけなのかは知らないが、無理だけはするな」と加えておく。

「ありがと、国光。急かさないで待っててくれて」まっすぐ笑う彼女が、とても懐かしくて眩しい。



「がんばってね、試合。大きな声では応援できないけど」
が氷帝の制服のスカートをつまみ、笑う。制服もしっくりと馴染んでいて、この学校が負担になっているかなんて要らぬ心配だったようだ。

「ああ。今日はも試合に出るから、しっかり観るといい」
が?」
「捻挫したやつがいて、その代役だ」
「そっか」

あまり試合まで時間がないことを思い出し、またな、と踵を返す。


うれしかった。事故以来、気体のように掴めなくなってしまったが、少しずつ形を取り戻していくことが。そして、その変化を見過ごすことなく気づけたことが。
表情が緩むのを、止められない。


どんな些細な変化でも、俺は見逃したりしない。幼馴染のプライドにかけて。