怒られたいとか怒鳴られたいとか。
最近気付いたんですけど、恋には人をマゾに変える力があると思う。




四時限目の終了を告げるチャイムが鳴り、お待ちかねのランチタイム。教科書をぱぱっと机の中にしまい、お弁当を持って親友のうさぎちゃんとレイちゃんの席へ移動する。二人は机をくっつけていてすでにお弁当を広げている。私は近くの椅子を拝借して輪に加わった。


いつものようにくだらないことを談笑しながらお弁当を食べすすめる。うさぎちゃんがボケて、レイちゃんがそれを小馬鹿にして、いがみ合う。もう見慣れてしまってお決まりのパターンなんだけど、自分も含めよくもまあ飽きないもんだ。
今日も相変わらずそんな感じ。その中で、うさぎちゃんが黄色い卵焼きを頬張りながら私に向かって話を振った。

「ねえ、ちゃん。数学のワーク出した?」

私はごりごりと噛んでいたきんぴらごぼうを飲み込んで、平然と、さも当たり前であるかのように「ううん、出してないよ」ときっぱりと答える。
それを聞いて、レイちゃんが飲んでいたパックのいちごみるくをブッと吹きだした。

「やだぁ、レイちゃんお下品ー!」
「バカ!あんたまだくっだらない事してんの!?」
「しー!大きい声出さないで!……もうすぐ来るはずだから」


さっき名簿をチェックしてたからそろそろ来るはずなんだけど。
私はレイちゃんを黙らせて、自分のお箸入れにかかったいちごみるくをハンカチで拭う。私が待っているのはクラスの風紀委員で数学係の――来た。人よりも大きい足音で、こっちに来る。私は下を向いて顔がにやけるのを必死に隠す。

「おい、
「なあに、真田くん」

やばい、ちょっと語尾が震えちゃった。ついつい口元が緩むのを止められない。へ、変な顔してないよね?大丈夫かな、私。とびきりの笑顔(自称だけど)を浮かべて真田くんを振り返る。立ちはだかる真田くんの眉間には皺が寄っていて、不謹慎にも内心ワクワク。


「クラスでお前だけ数学のワークが出ていない。朝のうちに提出ボックスへ入れておくよう昨日のHRでも連絡したのに一体何を聞いていたんだ。今すぐ出せ」
「あ、ごめーん。まだ半分しかやってない」
「む、宿題は一週間も前に出てたはずだぞ。それにも関わらずまだ終わってないとはたるんどるにも程がある!のんきに昼飯など食っていないで今すぐ取り掛かれ。放課後までに必ずやって持って来い」
「えー無理だよー。分かんないもん」
「馬鹿もん!分からないなら何故早めに取り掛かって先生に質問しに行かんのだッ!」
「だあってー」
「言い訳はいらん。他の皆はきちんとやっている、お前がさぼっているだけだ。とにかく、一刻も早く取り掛かれ。今日は終わるまで帰れないと思うことだ、いいな!」


それだけいうと、真田くんはドシドシと教室を出て行ってしまった。もう終わっちゃった。朝からドキドキしながらこの時を待ちわびて、たったの1分。まるで花火のようなほんの一瞬。

真田君が怒鳴り散らしたせいで教室中は静まり返り、クラスメイトたちは私に「また怒らせたのか」という呆れた視線を送っている。目の前では、うさぎちゃんとレイちゃんが耳をふさいでた手を解いた。レイちゃんからは溜め息なんかも聞こえる。

「ほんとにちゃんは真田くんを怒らせる天才だねぇ」
「ばか、感心してんじゃないわよ。ったく、あの老け顔の声、耳をふさいでも余裕で聞こえるんだから……もほんッとに物好きね!なんだってあんなのにわざわざ怒られたいのか私には全く理解できない」
「今日は数学のワークでしょ、昨日は遅刻、その前は月一回の身だしなみチェックでピアス取り忘れと丈を短くしたスカート……いくら好きな人でもここまで怒られたらさすがに嫌いになりそうなんだけどなあ。やっぱりちゃんってすごいねぇ。真田くんのどこがいいのか教えてよー」
「やーだ、絶対秘密!ライバル増えたら困るもん」




ごちそうさま!と空になったお弁当箱をそそくさを片付け、自分の席で数学のワークを開く。シャープペンがかちかちと音を立てて芯を出すものの、私は一向に進める気にならない。指でくるくるとシャープペンを弄ぶ。

実を言うと、範囲までの問題はノートに一通り解いてある。自分で言うのもなんだけど、もともと私は真面目な性格で、これまで提出物を忘れたり遅刻をしたり授業をさぼったり身だしなみチェックを忘れたりするような生徒じゃなかった。成績も素行もかなりいい優等生として先生たちの間では評判だった私の豹変振りに、なにやら先生たちは反抗期かと困惑してるらしい。
お生憎様、反抗期でもなんでもない。私はただ恋をしただけだった。私をこんなにまで変えた原因は真田くんなのだ。


真田くんは有名人で、全校集会とか部活の激励集会で姿を見たことはあった。周りのみんながいうように確かに顔こわいなとか厳しそうな人だなぁと思っていたけど、クラスも違って優等生な私には彼と関わる必要はなく、私だって興味も関わる予定もなかった。

でも人生何があるか分からないもので、転機はクラス替えで真田くんと同じクラスになって初めての自習の時間だった。うちは中高一貫で受験がない。3年生といってもそれほど気合を入れて勉強しなくても進学できるので、自習の時間もがりがり勉強するわけでもなく各自好きなことをしていた。私だってその時は小説を読んでいた気がする。学校には似合わないどろっどろの恋愛小説。
その自習時間中に、私の隣に座っていた女の子とその周りにいる数人が固まってべちゃべちゃと喋り始めた。いちおう好きなことをしていいといっても、静かにというのは最低限のルールにもかかわらず。
私もうるさいなぁと思いながらも注意する気にもなれず(新しいクラスメイトと早速気まずくなるの嫌じゃん?)放っておいたのだけど、前にいた真田くんがずかずかと近づいてきてそのグループに一喝、「人の迷惑になっているのが分からんのかこの馬鹿もの!」と、しゃべっていた誰よりも大きな声で怒鳴りつけたのだ。

あまりの剣幕にその子たちが声を失ってそそくさと自分の机に向かうのを確認したあと、真田くんがポカンとしてる私に向かって「、隣の席であるのにどうしてこれぐらい注意できんのだ。自分がよければいいという態度は感心せんぞ」と言い残して自分の席へ戻っていったのを、今でもはっきりと覚えている。
えっ、はっ、私まで怒られた!久しく怒られることのなかった私はますますぽかんとして、何もなかったように自分の席についた真田くんの背中を見つめるしかなかった。そのときは。


それからのこと、真田くんが怒ったり怒鳴ったりしている所を見るとドキドキするようになってしまった。怒ってる真田くんにも怒られてる子にもほんとに不謹慎だと思うんだけど、でもにやにやしながらつい目で追っちゃうんだ。
厳しい視線、曲がった事やだらしない事を見逃すことなくきちん注意する強さ、いつも自信に満ち溢れていて胸を張って歩く姿――真田くんの全てに魅了されるのにたいした時間はかからなかった。

が!恋なんて小学3年生以来の私にはまずどうしたらいいのか分からないという問題にぶつかった。「とりあえず告白かな?」と恋多き女であるレイちゃんに相談したところ、「ばかね、親しくもないのに告白してどうすんの!まずは近づくのよ、会えば挨拶するぐらいの仲になりなさい。すべてはそこからよ」というありがたいお言葉をのたまった。
そこで、知恵を絞って考えた近づく方法が“真田くんに怒られる問題児になる”というもの。レイちゃんには「頭の悪い女だって思われるだけだからやめなさい!」とダメだしを食らったけど、私にはこれが確実に真田くんと近づく方法だという自信があったし、迷うことなく早速実行に移した。
最初は身だしなみチェックのときにハンカチを忘れたりする些細な失敗に始まり、少しずつ遅刻、さぼり、とレベルをあげていく。私の読みどおり、真田くんは私のわざとやってるポカにいちいち食いついて怒鳴ってくれた。幸いクラス替えから間もない頃で、クラスでは「ちょっとぼけた子」「よく真田に怒られてる可哀相な子」というキャラクターで認識されることになり、人の目を気にせず堂々と真田くんに怒られることができた。


でも。
確かに真田くんとの接点は出来たけれど、それは私たちの仲の進展には直結しなかった。あくまで、忘れ物と遅刻の激しいダメな子という印象を与えただけにすぎない。
その証拠に、交わされる会話は説教の中だけに限られていて、それ以外には皆無。もちろん礼儀正しい真田くんだから、「おはよう」と声を掛ければ「おはよう」と返ってくる。私が期待してるのはその先で、たとえば、

「今日もいい天気だね〜、絶好の部活日和じゃん」
「ああそうだな。はて、は何部だったか」
「私?私はバレー部!テニスも面白そう、真田くん今度教えてよ」
「ああ、構わん。俺は厳しいぞ」

みたいな会話がしたいわけ。
真田くんに怒鳴られることはすごく嬉しいのだけど、そろそろ他の作戦を考えたほうが良さそうだ。どうしたら私の方を振り向いてくれるんだろう。




そんなことを考えながらぼーっとしていたら、一日が終わってしまった。まわりの生徒はみんな部活や帰宅など、それぞれの放課後を満喫しているはずだ。教室に残っているのは、だらだらと数学ワークに取り掛かる私と、私の顔を見て呆れ返っているレイちゃんだけ。レイちゃんは私の机に頬杖ついて、お菓子をつまんでいる。

「ほんっとにはバカなんだから。怒鳴られたいなんて相当なドMね。信じられない。そんなんじゃ、いつまでたってもただのバカな子だと思われるだけなんだから」

さっきからもう30分もこんな話を聞いている。レイちゃんに言わせれば、私のやり方はだめだめなのだそう。確かに、ただ怒られるばっかりで何一つ進展がない様子から自分でも失敗だったかなと反省しているところなんだけど、そんなこと言われてもねぇ。
お説教を聞いていたら、なんだかやる気までなくなってきて、数学ワークはちっとも進まない。それどころか、お説教がだんだん中傷っぽくなってきて不快だ。別に私のことだったらバカでもアホでも何とでも言えばいい。だけど、矛先が真田くんに向くのがいやだ。

もなんで真田なのよ。顔は老けてるし、声はでかいし、頭固いし。私にはちっとも理解できないわ。同じテニス部にはもっとかっこいい人いるじゃない?柳くんとかめちゃくちゃ頭いいのに静かだし、柳生くんもすごく気が利くって聞くし。丸井くんはちょっと子どもっぽくて私はタイプじゃないけど、面倒見のいいには合ってると思うよ。だいたい恋愛ほど真田に不釣合いなものなくない?あんたも折角可愛く生まれてきたんだから、いつまでもあのおっさん追いかけてないで「うるさい!」

怒りが我慢のメーターを振り切った。つい力が入って叫ぶと、握っていたシャープペンの芯が勢いよく折れる。紙にも穴があいてしまった。レイちゃんのことだから、悪気のなくきっと軽い気持ちで言ったのだと思う。それでも、頭ではそう思っていても、我慢できなかった。ああ、私は本当に真田くんがすきなんだ。塞き止めていた言葉を押し留めることができない。

「そうだよ真田くんは老けててとても15才には見えないよッ!身体も大きいからまるでゴリラみたいだし!空気も読めなくて、人の気持ちなんて関係なしに怒鳴りつけるよ!怒るとばかでかい声で、耳が痛くなるほどうるさいよ!でもッ……」


ガラッ


突然の物音に、私とレイちゃんは反射的にそちらに目をやる。物音は、教室の入り口のドアが開いた音だった。視線の先、そこにいるのは――だれでもない、真田くん本人だった。

私もレイちゃんも動けなくなった。最悪だ。なんというタイミング。一番聞かれたくない所を聞かれてしまった。真田くんの顔が見れない。


「……先生が、お前のワークを待っていると言っていた。早くやって、持っていけ」


それだけ言うと真田くんは立ち去った。足音が遠のいていく。……終わった。全部聞かれてしまった。自分はとんでもないことを言ってしまった。もう少し我慢できたら。もう少し黙っていられたら。……もう遅い。私の恋は見事に砕け散ってしまったのだから。

「ばかッ!何してるのよ!早く追いかけなさい!!」

レイちゃんがものすごい剣幕で叫ぶ。

「無理だよ。……全部終わったの」
「何が終わったのよ!誤解でしょ!ボロくそ言った後、あんたは“でもッ”って言いかけたじゃない!!」
「……でも…もう聞いてくれないよ…私の言葉なんて」
「無理にでも聞かせるのよ!あーもーグズグズしない!」

そういうと、レイちゃんは私の腕を無理やり引っ張り、私を廊下へ押し出して、背中を強い力で押した。衝撃に、前のめりに倒れた。

「真田が行くのなんてテニスコートに決まってるんだから、走って追いかけなさい。このまま終わらせたら、キレるわよ」


レイちゃんの迫力に押されて、私は走り出した。だいたい原因はレイちゃんなのに…と思いながらも、今そんなことを言っている余裕はない。
オレンジ色に染まった日が大きな窓から差し込む廊下をひたすら走る。人一人いない。本当にこの先に真田くんはいるのだろうか。自分の言ってしまった暴言が頭をめぐり、不安を煽り立てる。どうしよう、もう振り向いてもくれなかったら。軽蔑の目を向けられたら。




「……ッ真田くん!!」


階段を下る途中に彼はいた。彼は足を止め、ゆっくりと顔だけをこちらに向けた。いつもに増して、顔が怖い。突き刺さるような視線。心臓が痛い。バクバクという音に飲み込まれそうだ。

「……真田くん、ごめんなさい」

走りながら考えたけれど、この言葉しか出てこなかった。彼は、何も聞こえていないかのように、前を向いて再び歩を進めた。


「待って…!」
「“はこんな生徒じゃなかった。忘れ物も遅刻も、提出物も出し忘れるような子じゃない。何か悩みでもあるのだろうか”――先ほど数学のワークを出しに行った時に言われた言葉だ。人に迷惑をかけるのもいい加減にしろ。これが最後だ。どうやら俺はお前に嫌われているらしいな。もうお前には関わらない」
「ま、待って!聞いてよ!」

吐き捨てるように真田くんは言った。彼の足は止まらない。大きなはずの真田くんの背中が小さくなっていく。

もう諦めようと思った時、「無理にでも聞かせるのよ!」というレイちゃんの声が頭の中にこだました。

そうだ、どうせこれで終わりなのだから、自分の気持ちを全部言おう。無理にでも、投げつけるようにでも言おう。そしたら、レイちゃんに慰めてもらおう。私は渾身の力で叫ぶ。


「……真田くんのばか!老け顔!空気読め!怒りんぼ!鬼!騒音!
  でもっ、でもっ、でもっ、でもでもでもでもそんな真田くんが好きなの!」


気づけばか、鈍感!、止まらない言葉と一緒に、いつの間にか涙まで溢れてきた。ああ、もう、失恋って痛いよ。痛すぎる。

真田くんは足を止め、こちらを見ていた。そりゃあこれだけの声で叫ばれたら、振り向かざるをえないだろうな、と頭の冷静な部分が分析した。真田くんは動かない。静まり返った階段には、運動部の掛け声だけが聞こえてくる。

言ったらスッキリした。もういいや、帰ろう。
「ごめん、じゃあ、ね」と踵を返すと、後ろから真田くんが慌てたような声を出した。


「はっ、ちょちょっと待て!分かるように説明しろ!」


はあ?なにを説明するっていうの。全部言ったじゃない。


「どういうことだ……その…それは…俺のことがすすすきみたいじゃないか」
「だから、そう言ってるじゃん」
「なぜだ。あれだけ怒られといて」
「真田くんに振り向いて欲しくてわざとやってたの!忘れ物も遅刻も全部わざと!真田くんのせいなの!」
「お、俺のせい……」


真田くんは呆然と立ちすくんでいる。眉間にしわを寄せ、困ったような顔で私を見る。

「何がいいのだ……俺なんかの。俺には幸村や仁王のように、女に好かれるところなんて一つもない」

いつもの迫力のかけらもない小さな声で、もごもご言っている。こんな真田くんもあるんだ。私はレイちゃんに言いかけた言葉を口にした。

「真田くんはどんな時も真っ直ぐで厳しいけど、それは誰よりも友達とか仲間を想ってのことでしょう。うまく言えないけど、誰かのために真剣になれて、背筋をぴんと伸ばしたまっすぐなところがすき。……これでもまだ、一つもないとか言うの?」


真田くんの顔がぐあーっと赤くなるもんだから、つられて顔が熱くなる。も、もう無理。限界だ。


「返事は近いうちにちょうだい。あんまり気は長くないの。
 それと、もう優等生に戻るから。しゃべりたかったら、話しかけてよね」


言うだけいうと、私は階段を駆け上った。恥ずかしくて振り返れない。走ってきた道を、また全力で走り抜ける。両手で頬を包むと、その熱がじんわり伝わってくる。教室に戻るまでに冷まそうと、廊下の窓を開けた。

すーっと吹き抜ける心地の良い風。オレンジの夕日が目に沁みる。大きく息を吸った。わざと怒られるよりも、思い切って気持ちを伝えたほうが気持ちがいい。大きな発見だ。

明日、たくさん話しかけよう。真田くん、どんな顔をするかな。待ち遠しいよ。



恋は盲目

2010.06.20