突き止めてやるよ、お前にとって俺よりも大事なもの。


     





跡部景吾は苛立っていた。隣を歩く丸めがねの存在に対して、である。
今日は彼女であるのバイト代の行方を追及するためにこうしてわざわざの家に向かっているわけだが、なぜかついてくるめがね野郎、忍足。だいたい部活以外でこいつのツラを見なければいけないこと自体不快であるのに、が「通訳」だとかいって連れてきた。
一体何の通訳だというのか。と忍足だけで通じてる何かが気に入らねえ。こいつら、俺に何を隠してやがる。

空気を読むのが得意な忍足は、俺の苛立ちを察知しているようで気まずそうな表情を浮かべてチラチラとこちらを伺っているのだが、肝心のは全くこっちを見ない。あっちの方向を見つめ、何やら考えているようだ。
……まあいい、「通訳」の意味も、バイト代の行方も全ては彼女の家につけば明らかになることだ。



終始無言のまま、とりあえずの家に到着した。普通の一軒家で、見たところ特別貧乏そうな印象はない。ま、宍戸んちと同レベルだろう。

「ただいまぁー」というに続いて家に上がる。すると、奥から足音が聞こえて、母親らしき人が姿を表した。体型は少し丸いとしても顔立ちはに良く似ている。彼氏としてはここできっちり挨拶をしておきたい。そう思って口を開こうとした時、一瞬先に聞こえてきた言葉に俺は固まった。

「あら、忍足くんじゃないの!久しぶりね〜」
「ご無沙汰しとります。なんや、ええ匂いがしますね」
「今ホットケーキ焼いてたとこなのよー。後でに持って行かせるわね」
「気を遣わせてすんまへん。いつもおいしいお菓子をいただけてほんま嬉しいです」
「いやぁねぇ〜、お世辞がうまいんだから!」


なんなんだ、これは。
談笑するめがねとの母親。この親しげな雰囲気はなんだ。まるで、たびたびここに来ているような……。
というか、よく考えてみれば、の部屋に関して忍足が「通訳」ということは、忍足はの部屋をよく知っているということではないか…!俺としたことが今更…!

俺は家にさえ近づけてもらえなかったのに、何故。の彼氏であるはずの俺と、忍足との扱いの差に、苛立ちのボルテージが一気にMAXまで上昇するのを止められない。

さすがにマズイと感じたのか、が「こ、こちら跡部くん。ちょっと3人で大事な相談をするから、飲み物とかは部屋の前に置いて。さ、部屋行こう」と俺の背中を押した。忍足は勝手を知っているように、スイスイと階段を上っていく。その姿が非常に腹立たしく、階段を踏み鳴らしたくなったが、

「跡部くんごめん。ちゃんと話すから、怒らないで」

焦ったように顔の前で両手を合わせて謝るに、ここはとりあえず耐えろを自分に言い聞かせた。去年の俺なら確実に話なんて聞かずに帰っていたはずだ。我ながら成長した。



とある部屋のドアの前(おそらくここがの部屋なのだろうが)で、は立ち止まると、深刻そうな表情で言った。

「跡部くん、この先は本当に宇宙だから。私は跡部くんに嫌われる覚悟でこのドアを開けるんだからね」


? その深刻さが何であるのか、俺には理解できない。
このドアの先にはバイト代の行方があるのだろう。が、こいつはそれほどまでに人に見せられないようなものをコレクションでもしているのか。
ということは、俺はそんな人に見せられないものに負けたということか?いやいやいや……まじくだらねえもんだったら忍足ぶん殴ってやる。


がドアノブを下げると、ギィと音がしてドアが開いた。部屋の奥に進むに続いて、俺と忍足が足を踏み入れる。
ぐるりと見渡すと目に入ってくる、ピンクのカーテン、パイプベッド、テレビ、本棚(ぎっしりと詰まっている。案外読書家なのか)…………ん?


「おい、これは誰だ?」


俺の目が留まったのは、壁にババーンと貼られているでかいポスターだ。男と猫の絵が描かれている。なにやらアニメのキャラクターのようで、男のほうはキリリと決め込んだ表情だ。しかし、何のアニメなのか、なんというキャラクターなのか分からない。
そもそもアニメのポスターは女子高校生の部屋に不釣合いなような気がするんだが。


「不釣合いじゃない!新一は私のプリンスなんだから!」
「新…?プリン…?」
「ああえっと……忍足くん、通訳して」
「おっしゃ。これはな、名探偵コニャンっていうアニメに登場する新一っていうキャラクターや。お前、コニャン知っとるか?」
「知らねえ」

これやこれ、と忍足が本棚から漫画を数冊取り出して差し出した。確かに表紙にはポスターと同じ男と猫が描かれている。

「いちおう国民的アニメやで、これ。この男が新一ってゆーて、世間でも高校生探偵って言われとるんやけど、ある時やばい組織の取引を目撃して口封じのために変な毒薬を飲まされるんや。んで、なぜか猫の姿になってしまうねん。それがこの猫。同じ蝶ネクタイしとるやろ?」

確かに同じ蝶ネクタイだ。

「新一は、元の姿に戻るために組織の情報を得ようとして、幼馴染の探偵事務所で飼われることになるんやけど、そこの探偵がドヘボでな、新一が変わりに謎を解くっちゅー話。はこの新一がめっちゃすきらしい」


ひとまず名探偵コニャンとやらの概要は分かった。あまりに非現実な話すぎてどこから突っ込んで良いのかは分からないが。……いやもともとアニメや漫画なんて非現実の世界であるからして突っ込むことは無意味だな。
それにしても別に忍足じゃなくてもが説明すればいいと思うのは俺だけか?

部屋を歩き回ってみる。よくよく見ると、本棚にはコニャンのコミックスとDVDがみっちりと並べられている。よほど大事なのか、コミックスには全て透明なカバーが掛かっている。しかも、コミックスの最後は65巻と結構多い。事実、本棚の2段は埋まっている。しかもさらにDVDの量がハンパでない。間違いなく軽く100…いや150本は超えてるだろう。読書家なのかという言葉は撤回、ほとんどがコニャンじゃねえか!どんだけ好きなんだ!

その他にも本棚に詰まっているのはほぼ漫画とアニメのDVD。俺は少しずつのバイト代の行方を理解し始めていた。ただ、にとって俺より大事なものとしては認めたくなかったが。


「お前はサブカルが好きなのか」
「サブカル?」
「サブカルチャーのことだ」

頭に?を浮かべたが「通訳」の顔を見上げる。忍足はにやにやしながら、「まあそうやけどな。世間一般ではこういうのをオタクって言うんやで」と言った。
そういうと忍足はなにやら本棚を物色し始めて、「おーけいおんのDVD新作やん」とか言っている。
まあそんなことはどうでもいい。それよりも、はてオタクとは、趣味の世界にひたすら没頭するというあれのことか。秋葉原が代名詞で、今や世界的にも有名なあれと解釈していいのだろうか。

は秋葉っちゅーより池袋やろ」
「池袋?」
「乙女ロー「ぎゃー通訳余計なこと言わんでよろしい!!」


忍足の口を手でふさごうとが飛び上がった。の慌てようにむしろこっちが驚いた。いつもぼけっとしてるやつだと思っていたが俊敏にも動けるじゃねえか。うさぎみたいでちょっと可愛かったぞ。
それよりも忍足のやつめ何を言いかけた。


「忍足、言え。そのためにテメェがいるんだろーが」
「跡部くん、私オタクだって知られたことですでに傷ついてるんだからね。できれば今日はこれ以上傷をえぐらないで欲しいんだけど」
「忍足だけが知ってるっていう事実が気に食わねえんだよ。言えめがね」


忍足は溜め息をつくの肩に手を置いて、「隠しといてもしゃあないやろ」と声を掛けた。小声で「俺かて命が惜しいねん」だかなんとかも聞こえてきたような気がする。全く懸命な判断だな。ついでに肩の手もどけろ。


な、腐女子やねん。池袋の乙女ロードは腐女子の聖地やろ」
「婦女子?」
「いや、腐女子」
「(違いがわからねえ……)なんだその腐女子ってのは」
「BL、つまりはボーイズラブを愛す女の子のことや」
「ボーイズラブ?」
「男同士の恋愛」


言葉の意味を理解しようと頭を働かせていると、その隙に忍足は本棚をスライドさせて、奥にあった本をつまみ出した。ほい、っと渡されて表紙に目をやると、そこには手を絡ませあう男2人。しかも、絵柄は違うがこの蝶ネクタイ……新二だか新一とかいうやつだろ。
若干鳥肌の立っている自分に気付く。これはさすがに予想外だ。もはやバイト代の行方なんてのはどこかへ消えてしまった。


「コニャンとかいうのはそういうアニメなのか…?」
「んなわけないやろ。そんなアニメが国民的アニメになれるかいな。アニメとか漫画を見て、ファンが勝手に話を想像してんねん。その本は、そういうファン、ま、腐女子なんやけど、が作った二次創作や」
「……著作権に引っかかるだろ」
「まーそうなんだけどな。ただ人気がある証拠みたいなもんもあって、今は黙認状態つーのが正しいわ」


なんだその奥深い世界は。

本棚の奥から本を取り出してみると、出るわ出るわ、そんな雰囲気の本たちが。怖くて中を開く気にはなれない…。どっと疲労感に襲われる。確かに、これは言えねえ趣味だな。頭痛がしてきた。

俺の顔色を窺っているのか、ちらちらとこちらを見るに向かって言う。


「……理解した。お前にこういう趣味があることも、それを隠していたことも、バイト代の行方も」
「ごめんね跡部くん。引いたよね。ドン引きだよね」
「ドン引きっつーか、なんつーか…落ち込んだ。俺様が二次元以下だってことに」
「っ…ほんとごめんなさい…!もしかして、というかもしかしなくても私嫌われましたよね?」


ああ?
ついいつもの癖で目を細めると、は睨まれたと思ったのか忍足のうしろに隠れた。
それよりも「嫌われましたよね」って何だ。俺がを嫌ったということか?


「よく分からなかった。もう一度言え」
「は?跡部くんの彼女がこんなオタク女だったんだよ。『気持ちわりいんだよ、二度と俺様に近寄るな。こんな女と付き合ってたなんて一生の恥』とか言うんじゃないの?」
「……お前の中の俺像はそんななのか」


そういう趣味を歓迎はできねえが理解ぐらいできる。ひたすら稼いでるバイト代をほとんどつぎ込んでいるぐらいなのだから本気なのだろう。少なくとも俺は人が本気になっているものに口出しするような人間じゃねえ。にとってそれは、俺にとってのテニスみたいなもんだろう?(ま、不本意だがな!)


「というわけで俺はお前の趣味に干渉するつもりはねえよ。ただ、俺にはそういう趣味はねえからあんまりその手の話を振るな」
「了解です……ってあれ、私嫌われてない?フラれてない?へっ、夢じゃないよね?」


は俺と忍足の顔をキョロキョロと見比べて、自分の頬をつねってみたりしている。お前の存在こそアニメみたいだと言ってやりたい。
しかし、のオタクな趣味はいいとしても、さすがにお金(趣味)>>>>>>>>>>>>俺の状態をなんとかしなければならない。これ以上放って置かれるのは勘弁だからな。



「ただ、俺との時間もちゃんと作れ。月一回ぐらいデートしろ。別に金なら奢るし、それが嫌なら金のかかんねえように遊べばいい。分かったか?」
「はい。分かった。努力するいやさせてください…!」


そういうと、の表情がぱあっと明るくなった。さっきまではあれほどビクビクしてたというのに、今では「やったー!フラれてない!」とベッドの上をごろごろと転がっている。ったく制服がしわになるだろーが。
そんなに、忍足は「だからそんな心配せんでええって言ったやろ」なんて声を掛けている。その手には女の子の絵が描かれたDVDが握られている。ちっ、こいつの存在を忘れてたぜ。


「おい忍足よ、テメェやたらオタク用語に詳しいようだなぁアーン?「通訳」として充分役に立ったぜ」
「(やば……)おお、おおきに。跡部に褒められるなんてキショイわ」
「で?テメェは何オタクなんだ?通訳までしといてこの後に及んでオタクじゃないとか言わねえよなァ。どうせと仲がいいのだって、オタク仲間とかそんなもんだろ、あん?」
「さすが跡部くん!インサイトがばっちり効いてるね!忍足くんちすご…ング!」


「余計なこと言わんでええねん」と冷や汗をだらだらと流してる忍足がの口を手で押さえた。ベッドに寝転がったの口を手でふさぐ忍足。それはまるで犯罪のワンシーンかのようだ。捕まれ。


「おい、、もうこいつを部屋にあげるな。何かあってからじゃ遅い。これは命令だ」
「ええ!?やだよ、一緒にアニメのDVD観てくれる人がいなくなっちゃうじゃん!じゃあ跡部くん忍足くんの代わりに全部一緒に観てくれるの?」

うっ、それはきつい。くそ…!だが二人にしておくのは嫌だ。なんとなく。

「わかった、百歩譲る。忍足とDVDを観る時は俺も呼べ」
「それは別に構わないけど…これで跡部くんと忍足くんの仲が悪くなったらどうしよ…忍足くんの趣味も理解してあげてね」
「さあな」




こうしてのバイト代の行方を突き止めることができたわけだが、うっかりディープな世界を覗いてしまった。
まだその世界のことはよく分からないが困ったら身近な「通訳」に聞けばいい。ふん、いい弱点を掴んだぜ。
部屋の隅で暗い顔をしてる忍足と、相変わらずベッドの上で喜んでごろごろしている。おもしれえな、マジで。


「とりあえず、コニャン全巻貸せよ」

とりあえずは忍足と同じラインに立たねえとな。



next
2009.10.26