涙は流すもんだ。
ゆ ら り 月 >>第一章・四
布団を抱え、土方は自分の部屋に戻ってきた。
書き物をしていた机を足で隅に寄せると、持っていた布団を下ろす。
そして、ぐちゃぐちゃになった掛け布団を軽くなおした。
何やってんだ、俺も。
「…あのー」
小さく呼ばれた声に反応すると、障子には月明かりに映し出された人の影。
「入れ」
しかし、声を掛けても障子は開かない。
土方は手を止めて障子に近づくと、静かに開けた。
そこには一人の少女。
「遅せぇ。聞こえてんだろ。何突っ立ってんだ」
「はっ、いや、あの、あたしの布団…」
「あ?わざわざひいといてやったぜ」
それでも少女は一向に入ってくる様子が無い。
いい加減見かねると土方は
はっ、てめぇみてえなガキを抱く趣味はねぇな、と言い捨て、自分の布団に入った。
その少女―はしばらく突っ立っていたが、諦めたのか静かに土方の隣にひかれた布団にもぐる。
土方はごそごそとが布団にもぐったのを確認すると、目を瞑った。
が、さすがに隣に人がいるというだけで、いつものように眠りに落ちることは出来ない。
うとうとを繰り返す土方は、隣にいるのことを考えた。
刀を抜いても喜ぶうえに、この後の時代から来たと言い張る変わった女。
無論信用などできないが、先刻縁側で見たこいつの目は、故郷を恋しがる目だった。
ここには遠くに家族を残し、一人で京都へ来ては隊士志願をする輩もいる。
そんな奴等と同じ目だ、そう思った。
俺はこれから先の時代から来たということを未だに信じていない。
言葉に訛りはないが、こいつがどこかの間者だってことも有り得る。
隊の中にも長州の間者がいて何度か斬ったとこがあるが、この女の容姿からして長州は考えにくい。
攘夷思想を持つ長州が、異人もどきと手を組むだろうか。
…分からねぇ
もともと学のある山南らとは違い、自分の勝負勘で戦う土方には深く考え込むということが苦手だ。
間者だったら斬る―土方の辿り着いた答えはやはりそこだった。
ふと、この後の時代のことを思う。
現実主義者である自分がそんなことを考えるのは馬鹿馬鹿しいと自嘲した。
こいつが仮にも本当にこの後の時代から来た人間だったら…
140年という時間の向こうにもずっと自分たちと同じ人間が生きていることになる。
そして当然の如く、その時代に自分は生きていない。つまりどこかで自分も死を迎えるわけだ。
自分は常日頃死と隣り合わせに生きている。自分が斬る側にいれば、当然斬られる事もあるだろう。
死は至極当然なことで、そのときはそのときだと思っている。
誰が死んでも時間は止まることは知らず、流れ続ける。たとえそれが自分でも変わらない。
だが、こいつは自分の死んだ後の時代を生きている。
こうしていれば話も出来るし触れることも出来るという人間は、
自分がどれだけ生きても見ることの出来ない未来までを知って生きている。
こいつはこの国がどうなるのかだけではなく、自分たちの戦いの結果まで全て知っているということになる。
「…お前の生きてる未来ってぇのはどんなだ」
独り言のように呟いた言葉に返事が返ってくる気配は無い。
やっと寝たのか
と土方が思ったとき、小さな囁くような声が耳に届いた。
「…どんな時代だと思いますか」
それは土方の問いへの答えではなく、逆に土方に問うものだった。
「なんだ、まだ寝てなかったのか」
「土方さんこそ」
…どんな時代だと思いますか。
土方の頭の中にの声が反芻した。
どんな未来か。生憎自分は未来に対する理想なんてものは持ち合わせていない。
幕府や国がどうなろうとも知ったこっちゃねぇが、ただ近藤さんがいて総司がいて。
俺にはそれだけで良い。別に、今以上何かを望む気にはならない。
しばらく沈黙が続く。
土方は寝返りを打ち、のほうを向いた。は布団から顔を半分だけ出し天井を見つめている。
部屋に明かりはなく、障子をすり抜けた月の光だけが部屋の中を薄く照らしていた。
「…あたしの生きてる時代は、江戸時代の人が一生かかってやり遂げることにたった二日しかかからないって言われてる」
平成の世は
着る物も食べる物もたくさんあり、欲しいものは大抵手に入る
医療も経済も発展し
日本は世界の中でも裕福な国になった
逆に凶悪な犯罪は増え、教育は低迷し
人は命の重みを忘れた
それでも―…
ふいに、の言葉が途切れた。
目を瞑って聞いていた土方は目を開け、を見る。
土方の目に映ったのはの涙だった。
淡い月明かりがの涙に反射して鈍く光っている。
あ…
は自分が泣いていることに気がつくと、袖で目を擦った。
それでも涙は止まらない。
はさらに強く擦った。
「…やめとけ、明日腫れるぞ」
土方は身体を軽く起こすと、目を擦るの腕を掴んだ。
それでもは目を擦ろうと腕に力を入れる。
が、所詮男と女。の力が土方に敵うわけがなかった。
「…泣きたきゃ泣け。誰にも言わねえから」
土方の言葉に、の目には再び涙が溢れた。
土方はの肩をぐっと自分の方へと抱き寄せる。
は土方の胸に顔を押し付け、噎び泣いた。
「……いえ、に…かえり…たい…」
嗚咽で途切れ途切れになりながらも、は言った。
土方はただ何も言わず、子供をあやすようにの肩を抱いていた。
「…見なかったことにしといてやるよ」
そして、は土方の優しさを感じながら、深い眠りへと落ちていった。