あたしが今いるこの世界は、想像以上にリアルでタフで血生臭い。
人権なんて、甘ったれたこと言ってられない!





ゆ ら り 月   >>第二章・五





結局、はひたすら無言で歩き続ける土方の後を追いかけながら屯所へ戻った。
鉄之助は大丈夫だろうか、とは気がかりだったが、殺気立った空気を醸し出す土方にかける声はない。

屯所の門をくぐると、土方は足を止め、初めてを振り返った。


「いいか、これだけは守れ。ここ以外で俺たちの名前を呼ぶな。一歩間違えば、人が死ぬ」

いつも以上に厳しい表情の土方に、は困惑した。
なんで名前を呼んではいけないのか、なんで人が死ぬのか、なんであの場から足早に立ち去ったのか、分からないことばかりだ。
は煩わしいことを振り払うかのように、頭を左右に振って土方を睨んだ。


「なぜ呼んではいけないのか、教えてください。あたしには何が悪いのか分かりません」

反抗的な目に、土方は溜め息をついて頭を抱えた。眉間には皺がよっている。
(あ、今こいつ頭悪いっていう顔した!)


「とりあえず着替えて、茶持ってこい」




「あーヅラって暑いのねぇ。こんなの毎日つけてるおっさんたちはすごいわ」

かつらを外すと、頭がすっかり軽く、涼しくなった。
は数時間の間に随分肩が凝ってしまったのを感じる。
(この時代の人、頭がこんなに重くてよく平気でいられるなぁ。ヅラのおっさんと共に尊敬するわ、本気で)

「あら、戻ったん?」
部屋の前を通りかかった歩がに声を掛けた。
歩は両手一杯におそらく今取り込んだばかりの洗濯物を抱えている。

「あ、はい。今、かつらを返しに行こうと思ってたとこです」
「それならちゃんが持っとけばええよ。いつ必要になるか分からんやろ?」

歩の優しさには安心する。
時代を超えても存在する普遍的なものは、少ない。宇宙のほんの一握り程度だろう。
そういう貴重なものを発見したときの喜びは、ここにいなければ見つけられなかった。

「ありがとうございます、じゃ遠慮なくお借りしておきます」

ええの買ってもろた?という歩の言葉に、は満面の笑みで「はい」と元気よく答えた。

ちゃんはほんまええ顔で笑うなぁ」
「そんなことないです。洗濯物、あたしも運びます」
「ええの、これで最後だから。もう少ししたら晩御飯作るさかい、その時手伝ってな」


歩をそう言って、忙しそうにすたすたと歩いて行ってしまった。
は台所へ足を向けた。着替える前に台所へ寄って火にかけた水が、そろそろ湧いている頃だろう。
(お茶を淹れるのに数十分もかかるんだから、大変だ)



です。ふくちょー、入りますよ」

襖を開けた先には、煙管を咥えた土方がいた。襖ががらりと開いた音に反応して、瞑っていた目を開いた。

「おめぇ、返事する前に開けんじゃねぇよ」

まぁまぁいいじゃないですか、と悪気を全く感じていないに土方は呆れた表情を浮かべ、の差し出したお茶を啜った。
(茶はうまいのに、なんでこうも乱暴でいい加減なのか…)

「あの着物が仕上がったら、それもう着るなよ。ったく、襲われかけたくせに、危機感のねぇ女だな」
土方が指すのは手製のミニ丈着物だった。

「昨日の雨で、乾かなかったから仕方なく着てるだけですよ。さすがに沖田さんにああ言われたら、聞かないわけにはいきませんって」
「…俺が言っても聞けよ」

まぁそうなんですけど、ははは、と何とも気楽な返事をしたが、突然ぴくっと反応した。
「だれかいる」
その様子に土方は、ほお、と感心の声を漏らす。「案外いい勘してるみてぇだな」
その言葉に侮れないという棘が刺さっていることに、は気づいていない。


「山崎くん、入って報告してくれ」

土方の言葉で、襖が開き、山崎が顔を出した。そしての姿に眉をひそめる。
確認するように土方に視線を送るが、構わないという視線に納得がいかないながらも報告を始めた。

は、突然の山崎の土下座に驚き、真剣に報告に耳を傾けた。
どうやら先ほどの騒動の報告らしいことは分かったが、「うち一名は偶然居合わせた沖田さんによって斬られましたが」という言葉に体が固まった。
二人がさしてそのことに気を止めず、話が進んでいくことについていけない。


(人が傷ついても、こんなにあっさりしてるわけ?「不運」だった?)
(なんで斬ったの?斬られた人はどうなったの?)


の頭には次から次へと疑問が湧く。が洪水のように沸き起こってくる疑問を整理しようとする間に、すでに山崎の報告は終わっていた。二人の視線は自然とに向けられる。
は困惑の表情で土方を見た。乾いて張り付く喉に無理やり空気を通す。


「…斬られた人は、どうなったんですか」
「新選組として刀を抜く場合の決着は、どちらかの死だけだ」

何の迷いもなく、冷たく言い放たれた声に背筋が凍る。


「死だけって、そんな簡単に」
「それが決まりだ。例外は認めない」

の言葉に、土方は畳み掛けるように断言する。
顔から血の気が引き、これ以上言葉がでてこない。


「もういい、下がれ」という土方の声にはよろよろと立ち上がり、部屋を出た。




「……信じらんない」
井戸の前まで来て、は足を止めた。

分かってはいるつもりだった。当たり前のように腰に刀を差している時代だ。
時代劇だって簡単に刀を抜いているじゃないか。
斬られることは不運、仕方ない。

「……そんなふうに考えられるわけ、ない」

どんな事情があろうと、そんな簡単に人の命が奪われるなんて。
同じ人間を、どうしてそんな簡単に殺せるのだろう。

ふと、ひとつの結論が浮かんだ。


「そうか、まだ同じ人間だとかいう認識が、ないんだ」


あるのは仲間か敵か。
藩が違えば同じ人ではないと、考えられているような時代。

「あたしって、すごい幸せな時代に生きてたんだ」





「副長、あの女に聞かせてもよかったのですか」
「…間者であれば、すぐに桝屋に密告するだろうな」

土方の目が細められる。


これは賭けだ。
あいつに情が移る前に、白黒はっきりさせねばならない――


「今から徹底的にを監視してくれ。少しでも怪しいと思ったらその場で、」

息を吸い込む、強く言う。

「斬っても構わない」



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2008.02.28