どれだけ君が大人になっても、今日の葛藤を一生忘れないでいて。
あたしはそれを、切に願うよ。





ゆ ら り 月   >>第二章・六





「あれ、鉄之助は?」

大量の夕食を運び終わって、はふと気づいた。いつも誰よりも張り切ってご飯にくらいつく鉄之助がいない。隊士たちを見渡しても、みな目の前の食事に夢中での言葉に手を止める者はいなかった。

(このまま放っておくとご飯全部食べられちゃうだろうから、面倒だけど探すか)
そう思って、立ち上がり、部屋を出た。



さん」

後から話掛けられて、振り向くと沖田がいた。
いつもと変わらない、柔らかい笑み。
(こんな顔をする人が、簡単に人を斬るなんて)
脳裏によぎった「人殺し」という言葉に驚いて、は沖田からスッと目を逸らしてしまった。


「どうかしました?」
「い、いえ、何でもないです。もう食事始まってますから、沖田さんも早く行かないとなくなちゃいますよ」

(あたしのばか、あからさますぎ。)
自分のとった態度を悔やみながら、は足早に立ち去ろうとする。
背を向けた彼女に、沖田は「あ、一つ頼みたいことが」と付け足した。

「道場に鉄くんがいます。救急箱を持っていって、手当てをしてあげてくれませんか?」

少し本気でやってしまって、と沖田は申し訳なさそうに頭を掻いた。






救急箱を携えて、は道場の扉をがらりと開けた。
見渡せば、真ん中で四肢を四方に投げ出して仰向けなっている鉄之助がいた。
隣には木刀がころがっている。

「生きてる?」

の声に、少年は顔だけを動かす。子犬のように潤んだ目が、をとらえた。
道場の床の冷たさに懐かしさを重ねながら、はすたすたと鉄之助に近づく。

顔・腕・脚、全身痣だらけの鉄之助に、むちゃくちゃだなぁと声を掛けた。
上半身を起こした鉄之助に、「これで顔を冷やしな」と井戸水で濡らした手ぬぐいを手渡すと、はすばやく他の怪我の状態を把握していく。


「血が出てるのは、肉刺が潰れた手だけみたい。足は?くじいてない?」
「ん、大丈夫」


鉄之助の声に覇気がないのは、疲れだけではないだろうと何となく思う。
には、鉄之助が何を思って、どんな傷を抱えて、ここにいるのか分からない。15歳の少年が、人を斬ると決心させるほどの過去や傷や思いを持っているのだろう。
ただ、思考と行為は違う。いくらそう思っても、実際に人を斬れるかというのは別問題だ。人の命を絶つ行為に手を染める時、戸惑わないでいられるか。



「なあ、。俺さぁ、矛盾してるんだ」

鉄之助のまるで独り言のような呟きに、は手を止めた。

「俺、親の仇を討つために強くなりたくてここに来たのに、我侭いってここにいさせてもらってるのに――強くなるために人なんて殺せねぇよ」

ばかみてぇ、と握り締める拳は震えていた。

「俺が、沖田さんの名前を呼んだだけで、一人の人間が死んだんだ。俺のせいで死んだのに、それを“運がなかった”なんかですませられるか…!」

血を吐きそうな声に、固くつむられる目。眉間によった皺。少年の葛藤の深さに、はこの世界の残酷さを呪った。


(どうして、たった15歳の少年がこんなに苦しまなければならないのだろう)


ますます強く握られる拳に、そっと手を触れた。
これ以上力を入れると、爪が食い込んで血が出てしまう。


「ちょっ、おい、何でお前が泣くんだよっ」

顔を上げた鉄之助は、の顔を見て驚きの声をあげた。
の頬には、透明な液体が静かに伝っていく。
どっか痛いのか、と鉄之助は焦り、手に持っていた手ぬぐいで涙を拭おうと手を伸ばした瞬間、に強く抱きしめられた。いきなりの出来事に、鉄之助は言葉を失った。



「あたし、鉄之助の背負ってるものが何なのか分かんないけど――矛盾してたっていいよ。
大切な人を守ることが、強さなんじゃないのかな。守るために、刀を抜かなくてはならない時もあるかもしれないけど…きっとそれだけじゃないはず…」

あたしも人の命を“不運”なんかで片付けてほしくないよ、との腕に力が入った。
鉄之助は、の言葉に静かに耳を傾け、「ありがと」と呟いた。

(矛盾、しててもいいのかな)
鉄之助は、自分の中に一筋の光が差し込んだように感じた。





結局、はずるずると泣き続けて目を真っ赤に腫らし、鉄之助のために持ってきた手ぬぐいで冷やすことになった。
鉄之助に「お前ってすぐ泣くよな」と言われるも、2度も涙を見られているために言い返せず、俯くしかない。

それでも、この世界にも確かに人の命の重みがあって、ちゃんと人の中には葛藤があるということが分かり、は少し安心した。



(この世界で生きるには覚悟がいる。人の死から目を逸らすことはできないし、自分が死ぬかもしれない。けれど、同じ人間で、感情もあれば葛藤もある。誰もが必死に何かのために生きている。あたしも、そうやって生きていくしかない。)

(現代と比較するなんて、初めから無駄だったんだ。あたしは、この世界で生きる)

改めて、はここで生きる覚悟を決めた。




「あ、鉄之助。もうご飯ないかも……」



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2009.03.01