そんなこと言うつもりじゃなかったんだ。あの時はただ、マネージャーの先輩が引退したことで結構落ち込んでて、先輩がいつも笑顔でしてた仕事を無表情な顔でこなすあいつに苛ついていて。本当に言いたかったのは、そんなことじゃなくて、なんでそんなに困惑した目をするのかってことだったんだ。
02
は、朝監督が行ったとおり、2時少し過ぎにコートに現れた。制服は着替えたらしく、白いTシャツに黒いジャージズボンを履き、黒い髪はうしろで一つにまとめられていた。表情こそ変わらなかったが、一応手伝うという気があるような恰好に、何だか無性に苛々した。だって、マネージャーは先輩の仕事だったんだから。
俺がそんなことを思いながら見ていることにも気付かず、は一年に連れられ、調理室のほうへ歩いていった。もうすぐ休憩だから、一年がドリンクを準備しているはずだ。を連れて行ったのは鳳。鳳はまだレギュラーではないが、来月の試合に勝てば昇格する。新人マネージャーの相手なんかヒラの一年にやらせときゃいいのに、なんでおまえがンなことしてんだよ、とよく知っている鳳の世話焼きにすら苛立ちを覚える。
「おい岳人。どうしたん?先に休むか?」
「……わりい、そうする」
炎天下の中、苛立ちによって集中力が続かず、ミス連発。隣のコートで宍戸が激ダサだとか言ってるけど、ほんとダセェ自分。顔洗ってくるわ、と言い残し、ベンチの上に置いておいたタオルを掴んでコートをでた。
水道に行くと、そこから調理室の様子が見えた。鳳ともう四人一年がいて、に手順を教えている。先月、あそこにいたのはあいつじゃなくて先輩だったのに。睨むような目でを見た。きっとまた無表情で――そう思っていた俺は、止まる。の顔は無表情、だけど目は違った。その瞳には明らかな動揺と困惑が浮かんでいた。なんでそんな目をするんだ。分かんねえことなら聞きゃあいいのに、そうはせず、ただ困った目で鳳たちの手元を見ていた。一体何に困ってるんだ。
水道の蛇口を思いっきりひねると、勢いよく水が噴出した。息を止めて、蛇口から溢れる水に顔を突っ込む。火照った顔に冷たい水がぶつかり、熱が冷やされていく。しかし温度が下がっても苛々は収まらなかった。
「お前は何にそんな苛ついとんねん」
部活が終わって汗だくのユニフォームを脱いでいるとき、隣の侑士が言った。こいつは嫌になるぐらい鋭くて、人が折角隠しているものを突く。今日もそうだった。何でも見透かしたような侑士の目はちょっと怖い。初めて侑士に会った中学一年のときから、その印象は変わらない。
くぐもった声で知らねぇよ、というと侑士は笑った。
「当てたろか。――やろ?」
「……違う」
「違うことあらへん。あいつがお前の好きな先輩が居た場所におることが気に食わないんやろ?」
ほら言い返せん、侑士の声で昼間の苛々が一気にぶり返す。侑士は優しい。別にからかって言ったんじゃないっていうことぐらいちょっと考えれば分かることだった。だけどその時――その時だけは、頭に血がのぼってそんなことも判断できなかった。
鞄を背負うと、ロッカーのドアを思いっきり閉めた。立った派手な金属音に、部室の中は静まり返った。振り返ると、鳳と、鳳に日誌の書き方を教わっているがいた。鳳はこっちを見ていたけど、は何でも無い、興味も無いといった顔で黙々と何かを書き続けている。自分の頭の中で何かが弾けた気がした。
大股でに近づき、日誌をひったくった。書いていた途中の文字は崩れ、日誌の隅まで白い部分に一本の黒い線がのびた。は声を出すこともなく、静かに、冷たい目で俺を見た。こんなふうにされても、困惑の色一つ浮かべずに。俺は怒鳴っていた。
「…なんだよその顔は!そんなに嫌なら、手伝いなんか引き受けんじゃねぇよ!ここにはお前の居場所なんかねぇんだよ!あるのは先輩のいた場所だけっ……!」
最後まで言って気がついた。これはただの八つ当たりだということ、そしての目が一瞬揺れたことに。こいつはただ言われたように手伝っていただけなのに――肥大する罪悪感が重かった。手にした日誌が何キロもあるような気分。
どうすればいいか分からず、俺は日誌を床に叩きつけて部室から飛び出した。
「クソッ…」
停滞する熱 夏の夕暮れの生暖かい空気